ちいさなこだわり~食・旅・短歌~

渡邉円

1982年串間市生まれ。
ある日短歌と出会い帰郷。
美味しい食べ物に囲まれて、宮崎ライフを満喫中。
「都井岬短歌大会」「歌垣」など宮崎県内で短歌イベントを開催。

山古志村

新潟県中越地方に位置する山古志村は、2005年に長岡市に編入合併された。

 

山古志は「どこにでもある村」とは正反対の「どこにもない村」。山古志には、魅力がぎっしり詰まっていた。

 

都市では、大規模なニュータウン開発の進められていた1970年代に、山古志の村おこしは進められた。村の資料に「民俗学者の宮本常一が村おこしを手伝った…」という一文を見つけ、山古志の特色のありすぎる所以はここにあるのか。さもありなんすぎ!と深くうなずいた。誰かの描く理想郷が具体的であり、夢やロマンといわれる思いがつよく(それはときには呪詛的なものであるかもしれない)込められていたなら、今目の前にある不思議な村を、現実の村として作り出すことができる。と、解ったつもりになった。

マスメディアの出現による大衆文化、大量生産、大量消費による物質主義、マイカー時代による古い街の一掃、村に人がいなくなるといった昭和の時代から危惧されている課題に真っ正面から取り組んだ山古志。それから約半世紀経た現在は、棚田を活用した錦鯉の養殖は村の大事は産業として定着しているし、中越地震を経て10年をむかえる今日は、アルパカ牧場やお花畑が村に彩りを添えている。

 

【山古志村の魅力】

<闘牛>「牛の角突き」と呼ばれる闘牛が有名。

<錦鯉>山古志村は、錦鯉発祥の地。錦鯉養殖のための水槽の庭先にある民家の多いこと!

<棚田> 山古志村の棚田は、稲作と錦鯉の養殖用に使われている。

<アルパカ>中越地震後、村のおじいちゃんおばあちゃんから孫のように可愛がられているアルパカ。村には二箇所のアルパカ牧場がある。

<山菜>村の木はブナ。村の花はハギ。雪深い冬を越えて春になると、山菜が嬉しくてぴょこぴょこ顔を出す。春の恵みの山菜をどっさり収穫し、軒先で茹で、ムシロを曳いてひたすら揉む村人の姿があちこちに見られた。長い冬を越え、暖かくなった喜びをかみしめるかのよう。

 

アルパカ牧場を後に、村役場(現:長岡市山古志支所)までテクテク歩いていると、庭先で山菜を茹でているおばあちゃんと出会った。

話しかけると嬉しそうな笑顔を返してくれたので、わたしも嬉しくなった。時間を忘れて話に興じる。九州の宮崎から来たのだと伝えると、おばあちゃんはおもむろに物語り始めた。

おばあちゃんは、20代のころ愛知県にある紡績工場で働いていた。工場には鹿児島や宮崎から働きに来ている同世代の女の子がたくさんいて、仲良くしていたらしく、彼女たちの言葉がいまいちよくわからなかったけど「よかにせ」って単語だけは今でも覚えているの!と笑いながら教えてくれた。それと、大きなボンタンという名前のミカン、ボンタン飴っていうのもあったね!不思議なチマキ(アクマキのことらしい)も忘れられないよね!目の前のおばあちゃんは、まるで20代の女の子のように頬をあかくそめて、目をかがやかせて、話してくれた。

「これからムシロを敷いて、その上で山菜を揉むんだ」というおばあちゃんとお別れをして、ふたたび村役場を目指して左まわりに大きくカーブした道をいい気分で歩いた。

 

補助金を受けて運営している資料館は、小規模ながら展示に「思い」が込められていた。平日にもかかわらず観光バスが何台も停まっている駐車場の様子は忘れがたい。

 

わたしたちは、それぞれの土地の風土に似合う生活をしている。そして、その生活を支える仕事をし、それぞれの個人的な物語を折り重ね、未来を紡いでゆく。

宮崎県のいくつかの市町村も、山古志村と同じ様に合併を経て現在にある。

宮本常一と村の方々が理想郷をつくりあげたように、岩切章太郎翁をはじめ現在も多くの人が、宮崎の「大地に絵を描」き続けている。

 

【山古志のちいさな旅のすぐ後にずっと会えなくなってしまえり】渡邊 円

暮らしということを、年を重ねるということを、運命ということを、わたしは一生のうちに一体どれだけ理解できるのだろうか。旅を経てからずっと考えている。

 

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更新日時:2014.05.21(水) 00:00:24

お弁当と短歌。

 

今回は、お弁当と短歌。

 

 

お弁当の短歌には、同じ家に寝起きしながら日中を離れて過ごす家族を思う歌が多くあり、胸を打たれた。

日常も、ちいさな旅を重ねているのだと、気付く。

 

 

弁当の卵焼き食ふ片方の端を今ごろ子も食ひをるか 小林信也『千里丘陵』

千里丘陵は、大阪の豊中・吹田・茨木・箕面にまたがる丘陵地で、1960年代に日本で初めての大規模なニュータウン開発が行われた。高度経済成長の中心的労働力である若いファミリーが、短期間に集中して入居したという。大阪万博開催も決まっていた、かの地の熱気は想像に難くない。作者は、千里ニュータウンに生活するサラリーマンであろうか。弁当の卵焼きの端と端を子と分け合う。はたと気づいたが、この時期、父と子は三食同じメニューを腹に収めていたのではないか。食べもので、人の思考は形成されるというのはわたしの自論だが、弁当を食い終わった小林親子の息づかい(そっくりなのでは)が聞こえるようだ。

 

酔ひ歩くときも携ふ弁当箱今宵は梅干の種が音する 小田朝雄『潮流』

弁当箱は、朝、家を出るときに持つ。決して忘れてはならない。駅までの道、電車の車内、会社のロッカー、弁当箱は作者とちいさな旅をする。飲み会がある日は、正直、カバンのなかに空の弁当箱や水筒があるのはじゃまっけだ。しかし、会社に置いてゆくわけにはいかない。梅干しは、腐敗防止のために弁当に入れられることが多いが、弁当になくてはならない一品としての存在感もある。また、梅干しの種の仁は「天神様」と言われる。その種が、カバンの奥でカラカラと鳴る。種も供に飲酒を楽しんでいるようだ。明日もまた、供に旅する同志よ、早よ帰らんかー。と言っているのかもしれない。

 

 

鰯の背骨夫とわたしのそれぞれの弁当箱にのこりぬゆふべ 上村典子『貝母』

弁当のお菜となったのは、鰯の丸干しだろうか、梅煮だろうか、フライだろうか…。わたしは、魚をおろすことが苦手で、スーパーに旬の魚を見つけても、逡巡し、ようやく手にするものの「だ、大丈夫かな」と心の声は鳴りやまず、ネットでレシピを確認し、新聞紙を何枚も敷いた台所でおそるおそる調理を開始する…という体たらくだ。弁当に鰯が入っているなんて、作者は相当の料理上手である。鰯は、群れをなして行動する回遊魚である。弁当を毎日携えて仕事場へゆく夫と自身を、鰯に重ねているのだろう。ちいさな旅を経て帰宅した弁当箱には、しっかりとそれぞれに背骨が残っていた。それは夫婦の背骨を貫く矜持のようだ。うれしい発見をした台所には、充実した日々をたたえるように、暮れなずむ夕日が明るく射していたのではないだろうか。

 

 

もう抱けぬ重さの吾子の弁当に取りておくいちばん大きい苺 平岡三和子『迷路遊園地』

作者は、スーパーで苺を買うときから「明日の弁当にも使えるし…」と考えていたのだろう。そして、夕食後のデザートに苺を洗っているときに、その中でもいちばん大きい苺を子供に取り置いた。もちろん、他の家族には相談することなくひとりで決めたのだ。いつだってこの胸に抱いていたいのに、子供は成長する。中学生だろうか高校生だろうか。眼差しで、心で抱くことはあっても実際には、もう、抱くことはない。子供の成長をうれしく思いながら、さびしさも伝わる良い歌である。朝のキッチンは、慌ただしくもあるが、調理する時間は不思議と静寂でもある。忙しく手を動かしていると心が整ってくる。「毎日の弁当も、あと数年で作ることもなくなるんだなぁ」「どんどん大きくなってゆくなぁ」と考えながら、卵を焼いたり青菜をゆでたりする。仕上げに、昨夜取り置きしていた苺をのせる。苺をお弁当にのせるには“弁当箱に詰めたご飯やお菜が完全に冷めるまで待つ”というひと手間も必須である。

 

手塩といふやさしき味をむすびたる越のしら飯野にかがやかす 馬場あき子『青椿抄』

「手塩」とは、辞書には、昔食膳に備えて適宜に用いた塩とあるが、今回は「手塩にかける」という慣用句をやっぱり思う。“自分で直接面倒を見て大切に育てること”、というその言葉を単語をまるごと味覚を示す表現として用いている。やさしく、おおきい表現力であるなぁと嬉しくなる。手塩にかけて育てたお米、そして塩。日本人は、稲が成長する姿を無条件に可愛い!と思える能力を備え持つ民族である。と、古事記の先生から聞いたことがある。「越」とは「越の国」。現在の、山形県から福井県にまたがる日本海側の地域である。作者は、コシヒカリ(かどうかは不明だが)の真っ白いおむすびを持って、野に遊んだのだ。先日、わたしたちが日向の地で開催した『歌垣』を越の地で行っていたのだ。そして、その地で詠まれた歌は、野を越え山を越え、時間も越えてわたしたちの胸に、今届いた。感慨深い。

 

 

 

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更新日時:2014.05.07(水) 00:00:13

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