ちいさなこだわり~食・旅・短歌~

渡邉円

1982年串間市生まれ。
ある日短歌と出会い帰郷。
美味しい食べ物に囲まれて、宮崎ライフを満喫中。
「都井岬短歌大会」「歌垣」など宮崎県内で短歌イベントを開催。

千切りとキルティング

無心になる時間を、ときどき持ちたくなる。

わたしの通信のライフラインはスマートフォンのみ。PCでのネット作業のあれこれは、休日に図書館でまとめて済ます。足りない分は、スマートフォンのテザリング機能を使う。じゅうぶん事足りる~と、たかをくくってっていたけれど、宮崎の梅雨を甘くみていたことに気付く。入梅以降の暴風雨に、移動手段徒歩および自転車のわたしは、図書館通いどころか通勤や日用品の買い出しさえままならなくなった。たちまち食糧難だ。冷凍庫に作り置きしてあるカレーをチンして食べながら、ちいさな存在であるよなぁと。たいへん思います。

部屋のすみに放置していた作りかけのキルトを手にしてみる。もう、ずいぶん長い間、多忙を言い訳に後回しにしてきた。キルト針も、錆びてしまっている。外は相変わらずの大雨だし、部屋にある本もおおかた読み尽くしてしまった。TVもないし…。シンブル(指貫き)は、ミントの入っていたアルミの缶に納まっている。右手なか指に金属製のシンブルを、ひとさし指にゴムの指サックを、左手は素手で受ける。キルティング用の蝋塗りの糸を短い針に通す。そうだ、わたしは腕幅よりちょっと長めに糸を使うのが癖だった。玉むすびを、キルト綿に隠して針を進める。聞こえるのは雨の音と、往来を行き交う車のタイヤが水をはじく音…のみ。あっという間に時間が過ぎる。

それから数日のち、母が野菜を届けてくれた。合鍵を渡してあるので、留守中にときどき来て、冷蔵庫をいっぱいにしてゆく。片道2時間の運転が心配。外は、相変わらずの暴風雨だし(いや、ほんとに心配)。

届いた野菜のなかから新鮮なそら豆とニンジンを取りだす。

そら豆は、素焼きにして串間の大田商店の「夢の塩」で食べる。

ニンジンは、斜めに薄切りして、ほそーく、ほそーく、刻む。ボウルいっぱいに、ふわっと仕上がった千切りにも、「夢の塩」と、オリーブオイルをかけて、食べる。ひとりでわしわし食べる。お腹いっぱいになる。よし。これで大丈夫だ。

よし、大丈夫だ。と、ほっとした時、千切りとキルティングが同じ効果をもたらすことに気がついた。無心に手を動かす間、心(頭なんだか心臓なんだか)は、フラットに保たれる。大発見だ。

追伸:先日、所属している短歌の女子会に参加しました。(40代の子育て世代を中心にした歌会に、みそっかすとして加えていただいているのです…)。会の名前は「noteの会」というのですが、塩を炊く兄妹の、まるで神話にありそうな連作をだされた方がいて、すごーく印象に残りました。きっと、ベースは事実で、モデルになった兄妹がいるのでしょう。それが、短歌としてたちあがったとき、ファンタジックでエロチックで、原始の愛のようすなども、言葉と物語に込められていて、ひさびさにうっとりでした。海水をくみ上げる場所があり、行為があり、会話があり、人があり、それを生活の糧とする古代から続く営みを描けるって素晴らしいよね!その作品群がいつどこに発表されるかはわかりかねるのだけど、公開されたらぜひご紹介したいなぁーと思っています。

雨も好きだけど、宮崎の太陽の光が恋しいですね。梅雨ですね。

【セロトニンください夏至の夜ねむる力まぶたにひかりをあてる】渡邊 円

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更新日時:2014.06.21(土) 00:00:56

雨の都井岬と飫肥城下

東京からのお客様をお誘いして、都井岬と飫肥城下を訪ねた。

朝からあいにくの大雨で足元が心配だったが、濃い霧のなかから突然!野生馬!の現れる、雨の都井岬の良さを知っているわたしは、助手席と後部座席の心配顔を横目に、そしらぬ顔で走りなれたR448を運転。

わたしたちが故郷を思うとき、浮かべるのはどんな風景だろう。街路樹のワシントン椰子、照葉樹の森、飛び魚漁の漁火、都井岬の野生馬、幸島の猿、今町の浜に沈む夕日。旅情を感じる風景のど真ん中に「暮らし」があることに、今さらながら驚いている。

江戸時代、高鍋藩秋月家は軍馬を生産するために藩営牧場を開いた。ここに御崎馬は誕生する。

広辞苑には、

みさき-うま【岬馬】宮崎県都井岬にいる半野生の馬。日本在来馬の体形を残すものとして天然記念物に指定。

とある。

かつて軍馬として、あるいは農耕馬として望まれ放牧されていた御崎馬は、農業の機械化に伴い需要が見込めなくなったようだ。しかし御崎馬は、昭和二十八年に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定されたことをきっかけに国・宮崎県・串間市の補助事業として保護策がとられ、現在では観光地でありながら、その敷地内で野生本来の姿を見せてくれる。

都井岬は、人間と自然の長きに渡る係り合いによって、当の本人たちも気付かないところで偶然にもユートピアを作り上げた。

都井岬に歌碑のある若山牧水の【日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海見る】や、伊藤一彦先生の【母の名は茜、子の名は雲なりき丘をしづかに下る野生馬】など、都井岬を舞台にした名歌は多くある。いくつか、あげてみたい。

日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海見る                『別離』    若山牧水

椰子の実を拾ひつ秋の海黒きなぎさに立ちて日にかざし見る

あはれあれかすかに声す拾ひつる椰子のうつろの流れ実吹けば

秋、飛沫、岬の尖りあざやかにわが身刺せかし、旅をしぞ思ふ            『死か芸術か』

浪、浪、浪、沖に居る波、岸の浪、やよ待てわれも山降りてゆかむ

 ☆

のぼり立つここは日向の都井岬伊藤一彦が海を指さす              『火を運ぶ』佐佐木幸綱

逝く秋のはるかな丘に立つ馬をまずはつつめり闇のむらさき

眼の下をゆく鳥一羽沖へ沖へ引かれてい行くごとくはずみて

一枚の水とぞ見おり夕海のやや明るめるしばらくの時

 ☆

群るるとも個は個にありて野生馬の色の暮れゆく都井岬の秋        『青椿抄』  馬場あき子

丘の空に馬七つ八つ黒くゐて都井岬夕ぐれを沈黙す

野生馬は岬山の草を音たててむしり食みつつ人見ざるなり

野生馬のまつげ長くて秋風に(うな)(さき)そよぐひかりみてゐる

 ☆

闇のなかにけだものの肌にほひたち都井の岬の夜山そよげり        『天の鶴群』岡野弘彦

島山の木むらにひそむ夜の鳥のおどろきてあぐる声とほるなり

雌を率て屋根にいななく雄馬のきほへる歩み憎からなくに

夜の海のうねりしづかになりにけり岬の端に舟ひとつ浮く

 ☆

母の名は茜、子の名は雲なりき丘をしづかに下る野生馬                  『海号の歌』伊藤一彦

視力なき月盲の母待ちてゐる一頭なしや夕光に消ゆ

つぎつぎに投げあげらるる松明の生きもののごと闇をとびかふ            『火の橘』 

大蛇にぞ見たて立てゐる百尺の高き柱松火のかすめとぶ

柱松のいただきつひに火は入りて燃え上りたり大蛇火を吐く

口より火吐きたるのちは倒したりされど浄ければ火は消さずをり

望の夜に大蛇の出でしをののきをわれら継ぐべく岬のまつり

詳しい解説は、都井岬短歌大会の講演録をご覧ください_(._.)_ → http://blog.livedoor.jp/marumarutanka/archives/3332677.html

雨、雨、雨、大雨に降られて、飫肥城跡を見学するのもはばかられるほど。雨の都井岬は得意だけど、雨の飫肥は初めてのことで「まいった、まいった」と思う頭の上で、雨脚は、どんどん激しさを増してゆく。

それでも女子が3人集まれば、何があっても女子は、ランチを食べる。

飫肥は飫肥城を中心とした飫肥藩5万7000石の旧城下町。

江戸時代の武家屋敷町、町人町、寺町などの町並みが多く残され、市街地の八幡通り、横馬場通り、大手門通りなどが文化財保護法に基づき重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、「九州の小京都」とも称されている。

1587年に豊臣秀吉の命により伊東祐兵が飫肥の地にやってきてから、廃藩置県までずーっとずーっと伊東氏が藩主を務めた。

「服部亭」は、飫肥御三家のひとつで江戸時代から続く山林王、服部家の旧邸宅を利用した食事処。

飫肥の郷土料理を食べられる、県内でも数少ない食事処のひとつ。ランチメニューの服部膳は、飫肥寿司(漬けマグロ、イカ、タコが入っている)、飛び魚の刺身、切り干し大根の小鉢、飫肥天、むかでのり、飫肥の卵焼きなど、郷土の魅力満載。

約100坪の日本庭園を眺めながら、しっとりのんびり。食後のお菓子と薄茶には、雨に濡れた庭の草花がひとりひとりに添えられて、うれしい。とても、うれしい。

宮崎は、梅雨まっただ中。南郷では、ジャカランダが見ごろを迎える。雨の県南観光も、思いのほか(実は思いどおり)楽しいもの。

6月の雨に打たれる、都井岬の紫陽花と野生馬の黒くひかる身体。飫肥城下に傘をさして母を待っている、幼い頃のわたし。過去と今、未来の時間がゆき交う県南地域は、日常も、非日常の旅情も味わうことのできる不思議な魅力を湛えている。

 

 

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更新日時:2014.06.07(土) 00:00:47

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