ちいさなこだわり~食・旅・短歌~

渡邉円

1982年串間市生まれ。
ある日短歌と出会い帰郷。
美味しい食べ物に囲まれて、宮崎ライフを満喫中。
「都井岬短歌大会」「歌垣」など宮崎県内で短歌イベントを開催。

夏みかん酸つぱし

夏は嬉しい。好きな食材で好きな料理を作ることができるから。

先日、家庭菜園で作った野菜をいただいた。友人は「みどりのゆび」の持ち主である。茄子や胡瓜やトマトを育てる楽しみは、きっと子育てのそれと似ている。ある場所を区分けして土をつくり種を宿す。天気に一喜一憂して、虫を払い、すくすくと育つようにと祈る。わたしもいつかは家庭菜園を持ってみたいと、前々から憧れている。

串間市大束に暮らしていた母方の祖母のことを、わたしと兄は「大束ばあちゃん」と呼んでいた。大束ばあちゃん家の裏には、家と同じくらいの面積の畑があった。鍬やスコップなんかの道具が置いてある小屋の側に、二本の夏みかんの木は寄り添いながら立っていた。

冬には黄色い果実がたわわに実る。けれどもそれには触らない。じっと眺めて過ごす。夏みかんはずっと黄色いまま、枝にぶら下がっている。菜の花の咲く頃に、ひとつだけ収穫するのは「まだ酸っぱいねー」を確認するための通過儀礼。紫陽花の咲く頃に、ようやくカゴいっぱいの夏みかんは収穫された。

台所で切り分けられたスイカやメロンはお皿にのって登場するわけだけど、夏みかんや林檎は特別で、大束ばあちゃんは食卓に包丁と果物を持ち込んで目の前で剥いてくれた。わたしと兄が剥いたそばから口にいれてしまうので、なかなかお皿はいっぱいにならない。歌いながら夏みかんを剥く大束ばあちゃんの手元をじっと見ていたせいか、包丁の持ち方や果物の剥き方だけではなく歌いながら果物を剥く癖までも自然と覚えてしまった。大束ばあちゃんは、わたしの短歌が宮日新聞の短歌欄に掲載されるのをいつも楽しみにしていた。たまに載ると「円さんの牧水が今日も載っちょったがーあはは」とよくわからないコメントで喜んでくれたのだった。

酸っぱい夏みかんは、シロップ漬けにする。ガラス瓶に黄色く納まる姿の、なんとまあ可愛いこと。水は大量の砂糖を含むと、つやっとひかりを放つ。つるんと皮を剥かれてシロップに浸かった夏みかんは、野生のそのままの女の子におしろいをつけてあげたみたいな様子だ。その姿を眺めていると身の内に不思議な高揚感を覚える。ガラス瓶ごと冷蔵庫に入れてつめたく冷やす。真昼でも真夜中でも何度も冷蔵庫からガラス瓶を取りだして眺めてしまう。小さな器によそうと、器はたちまち汗をかく。夏のおやつはなんて明るいひかりを放つのだろうと感心し、自分が夏みかんでないのがだいぶ残念な気持ちになる。

 

【夏みかんの種てのひらにこぼしつつ思い出となる夜をうたえり】渡邊 円

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更新日時:2014.07.21(月) 00:00:31

コアジサシとナミゲ取り

次の休みは串間に帰ろっかな!と思ったら、まず歩ちゃんに連絡をいれることにしている。

目的は、今町の浜のビーチクリーニング。思い返せば2年前、お腹まわりや肩のあたりに今までにないモッタリとした冬羽のようなものをまとっていたわたしは、近所の幼なじみの歩ちゃんに「運動しようぜ!」と持ちかけたのだった。さっそく、朝の浜辺や夜の町を歩くことに。利己主義的なところがおおいにあるわたしの目的はダイエットだったけれど、歩ちゃんは歩いてる最中も「ああー、あのゴミが気になるぅ」と言い言い歩き「まどかちゃん、ビーチクリーニングしようやー」と言うので、せっかくの申し出を断る理由もなく、考えてみれば同じ時間を使って同じ場所を歩くのならそりゃーゴミでも拾ったほうが世のためだと判断したわたしは「おう、やろうやろう」と賛同した。

それから、毎週火曜日の朝約6時に「お互いに都合がよければ今町の浜に集合」ってことで、しばらく続けてみた。ビーチクリーニングをやってみると、まず季節ごとの風景の美しさに気付く。美しいってひと言で表現してしまうんだけど、もーそれはそれは美しい。冬の朝は、紫がかった空にだんだん白いひかりが海面からあふれ出す。ある日は瞬きをしてる間に、ある日は目の前を鳥が横切る間に、朝はやってくる。それから先は、ひかりの世界だ。ひかりあふれる浜には、鳥や犬や猫や大人や子供が集う。一遍の小説やテレビドラマが描けるんじゃないかと思うほど。幾たびも、心のカメラが自然に回ってしまう瞬間に立ち会うことができた。そして夕暮れ。夕暮れは、真っ赤な、オレンジ色の、朱色の太陽がじわじわと海に沈む。そして、闇に入るまでのほんの数分間、紫を見せる。それらを背景に、わたしたちは変わりなく「最近どうよ」と、お互いの近況に、ときには社会問題に、やっぱり自分たちの近況に興じる。ちいさい町に暮らしていると、それぞれの個人的な事象にいかに地域が関わっているかをしみじみ感じさせられる。きっと、同じベクトルで会話のできる友人を得た喜びがわたしを毎回ビーチクリーニングに向かわせるのだろう。

 

夏には、コアジサシがやってくる。今町の砂浜で繁殖するため、集団でやってきて沢山の卵を産む。朝、太陽が昇るとすぐに活動を始めるのだろうか。浜辺にわたしたちが近づくと「キー」だか「ギー」だか不穏な声が、上空で同時多発的に発生する。「大丈夫よー卵は取らんよー拾うのはゴミやがー」と言い言いビーチをクリーニングする健全で穏やかなわたしたちであるのに、コアジサシはくちばしと足を黄色く光らせて威嚇してくる。これが不健全な目的で浜辺にやってきたわたしたちなら、威嚇どころか大変な目に遭っていただろう。コアジサシの心はコアジサシにしか解らないけど、一生懸命、気持ちを訴えかけてくるように見えるところが好きだ。ところがあんなにキーキー言ってたのに、日没とともに姿を消してしまうところもアッサリしていて好きである。

※地元のボランティアの方々が、コアジサシの保護活動を続けています。

そして楽しい「ナミゲ取り」。

ナミゲというのは、正式には何と言うのだろう。今町の浜で取れるシジミのような貝=ナミゲを要するに「潮干狩り」するのだが、これが病みつきになる面白さなのだ。

穏やかな波がザパーンと打ち寄せて、それがサーっと引いていく、その瞬間を見逃してはいけない。波にぬれた砂の表面に、ナミゲの呼吸する跡が、プチプチはじける泡が見えましたか。さささっ、と。次の波が来るまえに、素早くナミゲを収穫するのです。どこまでも続く砂浜ってわけではないけれど、海は、広くて大きな懐を見せてくれる。

スリリングかつエンドレス。古来より今町っ子に好まれたらしく、わたしの祖母も叔母たちも、もちろん私も、近所の小学生も、ひたすらナミゲとの対話を続けて来た。こう、何と言うのでしょう。ドーパミン?アドレナリン?何だか、心身によい感じになるのだよね。

結局集めたナミゲは、みそ汁にしてもあんまり美味しいモンじゃないから、リリースして、帰る。拾ったゴミは、もちろん持って帰る。

朝日を浴びて、ちょっと運動すると朝ごはんが美味しい。

夕陽をみて、帰宅するとビールが旨い。

ビーチクリーニングは良いこと尽くしなのだ。

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『日向の空』

脳天に太き湯を浴び澄みわたれば蟹がみておりじっと見て居り

らんらんと光帯びたる童女二人は湯の辺のわれに言向け和す

太陽が海にざぶんと飛び込めば日夜日夜八夜を遊ぶ千鳥よ

夕闇に息をひそめた手のひらの星は溢れてふうふうと舞う

星空とわが胸音が響きあえばよきかな生きて地でも夢でも

銀糸を渡し結わえるまんてんの日向の空のこころまろさよ

痛みなどほんとは無くて水澄まし月の雫にぬくめられゆく

 

2010年10月の『塔』10代20代特集に参加した作品。

はじめての連作で、串間温泉と今町の浜を素材にしている。ちょうどこの頃に宮崎に帰郷し、伊藤一彦先生と出会い『心の花宮崎歌会』や『歌工房とくとく』そして『noteの会』に参加することになる。今思うと転機だった。ついこの間の出来事であるのに。

 

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更新日時:2014.07.07(月) 00:00:11

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