餃子熱。
いよいよ師走。台所のものたちを片付けたくなるのは、年末だからなのか。
引っ越してきたばかりの頃は冷蔵庫もガスコンロも電子レンジもなくて、毎週ドラッグストアで卓上コンロ用のボンベを買っていたなぁ。
オーブンレンジを購入したのが嬉しくて、パンを焼こうと強力粉を買ったのは夏まえ。
味と電気代を考えると、お店で購入したほうがよし!という結論がでた。それでも流しの下にねむる強力粉のことを、おりおり思い出しては申し訳ない気持ちになっていた。
12月をむかえ、ひとつひとつ心の整理をしてゆく。「今日は強力粉をどうするか考えよう」と思う一日があった。
近所の書店で気になる料理本をいくつも眺めているうちに、水餃子の頁と出会う。
皮は、強力粉と塩とオリーブオイルとお湯。
捏ねる作業はたのしい。
耳たぶくらいの柔らかさでほのかに温い生地にふれると、やさしい気持ちになる。
つるっとなったら乾燥しないようラップで包みベンチタイムを設ける。
生地がやすんでいる間に、餡をつくる。
今回は、豚ひき肉に塩で絞った大根とショウガとニラ。味付けはナンプラーと黒コショウ。つなぎには、片栗粉を使用。
生地をのばして、餡を包んで、茹でて完成。
モチモチした皮とあったかい湯気がいい。
以来、餃子熱は冷めず。コートを羽織り、マフラーをしていそいそとスーパーへ出かけるわたし。
在庫消費のための餃子だったのだけど。
12月7日は、宮崎ねんりんフェスタ。
ステージイベントとして、心豊かに歌う全国ふれあい短歌大会の表彰式があった。
ここ数年、ボランティア団体「空の会」のメンバーとして参加している。
今回は、優秀賞の92歳の女性(Kさん)のご案内係を務めさせていただいた。はるばる福岡県からご参加くださり、人生初の来宮とのことで大変よろこんでいらっしゃった。
作品は、【お父さんステテコの前縫いました妻の私が穿いております】。
ステージへあがる前、お弁当を食べてお手洗いへ行って…と一緒に過ごす時間をいただいた。声をかけるたびに「ありがとう」と言葉をいただき「いえいえ、わたしのほうこそありがとうございます」と返す。わたしたちは、それをおそらく何十回も繰り返した。
ステージまでの短い廊下を、ながい時間をかけて歩く。途中で、ぎゅっと手を握っていただいて胸がいっぱいになった。
ステージ上では、「どんな気持ちでこの短歌をつくられたんですか?」という問いに「恥ずかしい…」と、たったひと言だけ発して照れて黙ってしまったKさん。
緞帳の隅で待機していたわたしの手をまた握り、ゆっくり控室へと戻られたのだった。
また違う休日。
宮崎キネマ館で、『フランシス・ハ』を鑑賞。
フランシスのダメぶりがとても他人事とは思えない。ううむ、ううむと唸りながら眺めていた。時間の経過や身を置く場所の変化によって、ふわっと世界が溶ける瞬間がある。
いい映画に今年もたくさん出会えた。
それぞれの個に適した生活は、それぞれであるなぁと思う。
「~べき」にがんじがらめになるのは、とても苦しいこと。生活のリズムが掴めたとき、内面の熱も熱く時には暖かく周囲に与えることができるのではないだろうか。
生活になくてはならないモノの基準はそれぞれだが、わたしは料理と旅と映画と手芸と短歌と…。じゅうぶん過ぎるほど世界からの恵をうけている。それは自らが「こんな生活がしたい」とイメージした日から今日につながっているってことを、ある瞬間に思い当たった。そして、自分の身の内にある“自分を幸福にできる小箱”を見出すちからが自分に備わっていることを知り、改めて驚いている。
また、ある休日。
所属している短歌結社の今年最後の歌会。今回は司会を務めた。
発言者が何を言いたいのか、しっかり聞くこと。そして「こう仰っていますが、いかがでしょうか」と伝えること。
この2点に気をつけてみた。今後は、より深い短歌の鑑賞へ導く司会ができるよう勉強したい。
ホワイトキルトはボルチモアアルバムキルトの図案をベースにフリーハンドで。ぽんぽんぽんと配置して、すき間にハートや星や鳥や蝶を遊ばせてみよう。年末年始の楽しみ\(^o^)/
【ムーミン谷のよう隠れ居に今宵も香りするどき花を飾りいき】渡邊 円