ちいさなこだわり~食・旅・短歌~

渡邉円

1982年串間市生まれ。
ある日短歌と出会い帰郷。
美味しい食べ物に囲まれて、宮崎ライフを満喫中。
「都井岬短歌大会」「歌垣」など宮崎県内で短歌イベントを開催。

宮崎の台所 2.夢はシェアハウス。移住して6年目のナポリタン。

〈台所主〉34歳/男性(主夫)、妻(31歳:社会福祉士)、長女(5歳)、長男(3歳)の4人暮らし

埼玉出身の彼が、後に奥さまとなる彼女と出会ったのは横浜の街。大学生だった彼女の実家が宮崎だった。

一年間の同棲を経て、一人っ子の彼女はお母さんの介護をするため宮崎に帰郷した。遠距離になってしまったけれど、それから約一年間、彼は4回も宮崎に足を運んだのだった。

ちょうど同じころ、彼女の祖母がふたり立て続けに亡くなってしまったのだが、彼は二人のおばあちゃんと「彼女と結婚してね」と約束を交わしていた。

仕事も生活もイチから始めることになる。

躊躇がなかった訳ではないが、「彼女が“宮崎から動かない!”って言い張ったから…」。だったら俺が行くしかない。

 

宮崎の印象は、

・空がひろい

・人がやさしい

・時間がゆっくりながれる

それ以外にも、家賃が安い、駐車場代が安い、物価が安い、公共料金が安い(笑)と、ベタ褒め。

そして何より野菜が美味しい!特に綾の野菜が気に入っている。ピーマンに水菜にホウレン草。しゃきしゃきしてて、鮮度がいい!と、これまたベタ褒め。

 

マイナス面は、

「-----------------うん。競争心がないところ、かなぁ。それもいい面とも言えるかぁ」

特に思いつかない様子。

「あ!あった、暑すぎ!あと、冬が短い!って、あれ?これもいい面かなぁ」

と、どこまでも宮崎に好印象の彼。

アルバイトがある日は、忙しい。

最近近所のカレー屋さんにスカウトされて、人生初の接客業を楽しんでいる。アルバイトの合間に、子どもの送り迎えや買い物や掃除や洗濯。息つく暇もない。煙草もお酒もやらないけれど、大粒のミントが最近気に入っていてポケットに忍ばせている。パッケージもオシャレだし、辛さもマイルドでなにしろ大粒だから長持ちする。嗜好品との正しい付き合い方を、彼から学んだ気がする。

休日は、子どもと遊んで過す。

旅が好きで、結婚前にはよくふたりで国内の温泉に足を運んでいたそう。家族の本棚には、子どもの絵本、料理本、インテリア本に加えて旅本が幅を占めている。

生活は、子どもが生まれてから“劇的に変わった”という。

「そうそう、最近6年越しの新婚旅行に行ったんだ!沖縄!楽しかった~」と言いながら、わたしたち(本日は彼の依頼で、ある空地の草刈りを手伝ったのだけど、お昼もケーキもDVD鑑賞まで堪能してしまって!取材までさせていただいて!申し訳ないような…こちらがありがとうございます!と言って別れる。そんな彼なのです。)に、家族写真を見せてくれる。ちゃんと整理された家族写真。いいなぁ。

目の前の人には、いいなと思った気持ちを正直に伝えようと常々思っているので「ステキですね!ほんとに、いいと思います!最高です!」と言うと「だって、決めたから」と言う彼。やりたいことをすると決めた、明るく幸せであると決めたのだ。

得意料理はナポリタン。

男の料理らしからず主夫の料理は、冷蔵庫にあったもんでちゃちゃっと作られる。ナポリタンは子どもがよく食べてくれるのだそう。

「多分、トマトが好きなんじゃないかなーー。いっぱい食べてくれたら嬉しいよね」

うん。嬉しい!本日集ったお友達曰く「ナポリタンは安定の味」なのだそう。ちゃんと毎回レシピを見ながらつくるナポリタンは、お父さんの味。きっと、ずっと子どもたちの記憶に残るのだろうな。

そんな彼の夢は、皆が集まれる場所を作ること。「集まる場所」ではなくて「集まれる場所」というのが、彼らしいなーと思う。彼の親友のイケメンシェアハウスオーナーと、週3ペースで夢を語り合う日々。彼らは、どこへ向かうのだろうか。間違いなく言えるのは、毎日楽しんで暮らしていて、幸せに見えるしきっと自分たちもそう思っているということ。

「こないだもね、シェアハウスで出会った人にね、包丁研いでもらったんだ!野菜が新鮮だからさー、包丁の重さだけで切れちゃうんだよね」そんなこと言いながら、平日の真昼間に台所に立つ彼。次の春には、5人目の家族が増える。

 

いいなーいーなーと思いながら、いいなにつながる相聞歌を今日は詠んで…寝ます_(._.)_

【おやすみと我が言うまで向き合いてながい電話をくるる日のあり】渡邊 円

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更新日時:2014.10.07(火) 20:40:26

旅に出るなう。

秋です。いよいよ、旅に出たい気持ちが抑えきれなくなったなう。旅に出るなう。牧水が現代に生きていたなら、FacebookやTwitterを駆使して発信しまくっていただろうな。

「健やかな病気である」

若山牧水が旅に焦がれる様子を、赤坂憲雄氏はぴたりと表現されました。宮崎で開催された『牧水研究』のイベントでの一幕。なるほど、ビョーキ…。健やかな、ビョーキ…。

牧水さんのことをよくご存じの方もいらっしゃるでしょうし、まったく知らない方もおられると思うので。この場をお借りして、ご紹介します。

日向市東郷町坪谷出身の歌人・若山牧水は、今から約130年前に生まれました。「旅の歌人」と呼ばれています。生涯の9分の1を旅に過ごしたのだそう。大学を卒業して、社会人になってからは、なんと5分の1を旅に過ごしたと言うからすごいですよね。牧水は、どうして旅に焦がれ続けたのでしょうか。

【幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく】

(いくやまかわ こえさりゆかば さびしさの はてなむくにぞ   きょうもたびゆく)

この有名な短歌は、牧水が本格的に旅人生活をはじめる前に作られました。22才の学生の頃の作品です。その後の人生を予見するような、人生が歌の後を追いかけたかのような様子です。言葉というのは不思議で、ぽろっと口から心からこぼれ出ることがあります。自分でも思いがけない素直な気持ちだったり、願望であったりするのですが。晴れやかなとてもいい気分になることもあるでしょうし、複雑な認めたくないようなうしろめたい気持ちになることもあるでしょう。短歌は、誰に向けて作るのでしょうか。ときどきの対象は例えば「君」であるかもしれないけれど、実は短歌の神様にむかって歌をつくっているんじゃないかなとわたしはいつも思っています。偉そうなことを言いますが、きっと、牧水もそうだったのではないかな。万葉の歌をみつつ、現代のわたくしに目を配りつつ、未来の短歌を眺めている。そんな短歌の神様の様子は気配はいつも身近にあります。旅へ焦がれる気持ちも、君への想いも、全部受け止めてくれるのは短歌。歌人と呼ばれる人たちは、5・7・5・7・7の定型をすいぶん信頼してしまっているのです。

よく、短歌ってストレス発散のツールなんでしょ。溜まってる胸のダークなのを形にできてスッキリするんでしょ。と意地悪なことを言われるのだけれど。うーーん、あくがれっす!と、答えるようにしています。至らないのは短歌ではなくて、わたくしなのですから。

牧水の時代は、汽船や汽車を乗り継いで旅をしていたのでしょう。現在は、それらに加えて飛行機で旅を楽しむことができます。

宮崎空港は空の玄関口。神楽時計は、長針が12を指すたびに舞いを見せてくれます。神話の国宮崎は2013年の古事記編さん1300年を皮切りに2020年の日本書紀編さん1300年まで奈良県とタッグを組んで突き進んでゆくらしく、横断幕にも気合が感じられます。売店にはマンゴー、ねりくり、飫肥天、焼酎、ワイン、へべす、ういろう、辛麺、炭火焼地鶏、ゆずこしょう、九州パンケーキ、綾のハーブ、、。民芸品好きにはたまらない佐土原人形に埴輪に、、。レストランではチキン南蛮をはじめ、噂のガンジスカレーも、今なら月替わりの本格シェフプロデュースのスープも味わうことができます。本屋さんは小さいながら、ナイス!なセレクトで空の旅を楽しませてくれます。機内誌もすばらしいですよね。わたし大好きなの、機内誌。

なはんて旅に出る気持ちを身の内に育てつつ、じっさいは旅に出ていなくても毎日が旅であるんだよね。まだ見ぬ今日の明日のわたしと出会う旅。生きているかぎり(短歌風に言うと)「我は旅人」なのです。

それにしても、とにもかくにも。宮崎空港はすてき。空港でね、半日過ごせちゃうよね。

【ゆく秋の旅人われは中空の飛行機に居て雲にやすらう】渡邊 円

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更新日時:2014.09.21(日) 00:00:39

宮崎の台所 1.営業のツールはカレーと干物

〈台所主〉60代/男性(営業職)、妻(主婦)と猫(メス2匹)の4人暮らし

「みんな俺のカレーのファンなんだよな~」という台詞をもう10年以上聞かされている。会うたびに改良を続けているらしく、毎回「今回のカレーは最高の出来だ!」と言いながら、ジップロックに小分けしたカレーを手渡してくれる。台所の脇のドアを開けると、カレー専用の冷凍庫がある。引き出し式の冷凍庫の棚は3段。どの棚にもびっしりカレーが詰まっている。

「実は、カレーだけじゃないんだよ。俺の干物も旨いんだ。お客さんはみんな俺の干物にホレてるんだよな~」と、どこかで聞いたセリフがまた聞こえてきた。

高校を卒業するまで、この家で暮らした。戦後生まれのいわゆる団塊の世代。東京の大学へ進学したものの、安保闘争の影響もありほとんど学校へは行かず新宿の喫茶店で小説を書いて過ごしたという。物価の高騰には悩まされた。

「俺は小説を書く関係で行かなかったんだ…」と振り返る大学生活。催涙ガスが漂い、デモが毎日のように行われていた東京。大学1.2年のころは、新宿中村屋の工場の総務課でアルバイトをした。アルバイト先へは、調布の下宿から通った。3.4年の頃には葛飾のお花茶屋に引っ越していろんなアルバイトをやってきた。料理はほとんどしなかった。何を食べて過ごしていたのかは思い出せない。昼はほとんどまともに食べていなかった。唯一覚えているのは神田のキーマカレー。そして『ハイライト』という店名の喫茶店。『ハイライト』では当時のハイライトと同じ値段でコーヒーを飲ませてくれた。コーヒー1杯で、朝から夕方まで粘った。小説も書き終え、大学も無事卒業し、就職した。

地元宮崎の4歳年下の女性とお見合いそして結婚を経て、故郷の土地を踏んだのは30歳を超えた頃。相変わらずの故郷。「秋も霞のたなびきてをり~だな」と嬉しそうにつぶやく。

カレーの研究をはじめてもう15年になる。きっかけは横浜の大学に進学した息子に、保存食として栄養のとれる食べものを送ってあげたいという思いだった。作ってるうちに、何とか旨く仕上げたいとあれこれ改良を続けてきたが、あくまでもインスタントの延長である。たいしたもんじゃない。と本人はきっぱりと言い切る。

「結局、俺はマザコンなんだな。串間に帰りたかったんだな。東京で生活していてもいつも田舎に帰りたいなーと思ってたんだよ」と言う。「でも東京にいたほうがよかったんじゃないの?」と意地悪な質問を投げかけてみたのだが「イヤーそうは思わんな。お金の面で苦労はしたけど、自然と一緒に生きてゆける。隣近所の人がいて、自然がある。うちの前から河をみるだけでも癒しになる。都会生活は好きじゃねーしね。人のためになるからやってるもんで、金を稼ごうと思えばいくらでも違う方法がある。ぶばらない、肩肘はらない、そんな生き方。自然に生きていて飯が食えないもんかって思うよね」ぎゃふん、である。大正解の模範解答ではないか。

営業の仕事も特に無理して生活のためにやってるという意識は無い。お客さんが納得したら、お客さんから声がかかる。

「カレーと一緒なんだな~」

カレーを渡すとお客さんが喜んでくれる。「カレーは辛いからカレーなんですよ!なんて言って渡すんだよ。でも、ワンパックで原価が500円かかるんだよな。市販のルーを使わなければもっと原料代を節約できるかもしれないけど勇気がないんだなー失敗したら人にはヤレンもんなー。1回で150食分作るんだよ。お玉一杯100円。辛さの秘訣は唐辛子。と言ってもスーパーで売ってるやつなんだけど」と、どこまでも肩肘を張らない。ぶべらない。

「干物は自分で食べたいものを自分で作る。確かに塩がきつめなんだけど、生臭さがない。港に揚がった魚をいかに鮮度を落とさずに美味しく仕上げるか、常に研究してるんだ」肩肘は張らないけれど、常にベストを尽くしたいようだ。

「俺は世の中に逆らってるんだな。人が作ったものは食べたくない。どうせなら、自分で旨いもんを作りたい。自分でおいしいと思うからお客さんに食べて欲しい。共感されたいんだな」うん、とてもよく解る。今回の台所主はわたしの父である。

猫達は父の帰宅を毎日、心待ちにしている。車のエンジンの音を聞き分けて、玄関でお出迎えするのだ。しかもこの猫達、母娘なのだがすこぶる美人である。同居している妻にもときどき帰ってくる娘にも愛想ひとつ振り撒かないくせに【ご飯をくれるおとうさん】の扱いを、心得ているのだ。

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更新日時:2014.09.07(日) 00:00:59

いもがらぼくと

「いもがらぼくと」とは、宮崎の男性の性質をうまい具合に表現した「肥後もっこす」や「薩摩隼人」と同じ部類の言葉だ。

いもがらは里芋の茎の部分で、シャリシャリとした触感を味わう夏の野菜。うすみどり色をしていて、繊維と繊維のあいだにスポンジのような空泡が見られる。宮崎では生で刺身のツマに使ったり、さっと茹でて酢の物に仕立てたりする。

宮崎の男性って「いもがら」を「木刀」に仕立てたようだよね??確かに見た目は厳めしいけれど内面はさわやかでふわっと優しい雰囲気の男性が多いように思う。対して、宮崎の女性は「日向かぼちゃ」と称される。

民謡『いもがらぼくと』は昭和30年に宮崎市が市政30周年記念行事として新民謡を公募した際に誕生した。現在も『ひえつき節』や『刈干切唄』にならんで宮崎の民謡として歌い継がれており、結婚式やお祝いの席で聞く機会がある。

♪♪♪

腰の痛さ~よ~ 山畑びら~き~

春はかすみの日のながさ

焼酎五合の寝酒の酌に

おれもよめじょが欲しゅなった ヤレ

もろ~た もろたよ いもがらぼくと

日向カボチャのよか嫁女

ジャガジャガマコチ エレコッチャ~

 

※こちらで聞けます → http://www.yamanashinouta.com/music/me06.mp3

『いもがらぼくと』の誕生秘話を審査員のひとり中村地平氏は著書に残している。

新民謡の応募作品には、残念ながら当選作がなく結局二席の黒木淳吉氏の「のさん節」を基調に中村地平、黒木淳吉、黒木清次と三人で新しい作品を作り出すことになった。目標は、熊本の「おてもやん」を凌ぐ作品を完成させることである。その目的を達成するため、三人が掲げた条件が以下である。

1.素朴で善良であるが、いくらか怠惰なところのある日向人の性格をえがきだすこと

2.生活の裏づけがあること

3.性格と生活とをはっきりさせるために、独身から結婚、出産など、人間の運命をえがくこと

4.観光宣伝にむすびつけるために、名所名跡をおりこむこと

5.日向弁を多用すること

 

…完成した作品を(標準語訳)付きでご紹介したい。

 

【1番】尾鈴ン山には春霞 だれくでしもた(つかれてしまった)こば(伐採場)びらき だれやみ(つかれ休めの焼酎)のんでほたり寝る(ねてしまう)おれも嫁女がほしゅなった はやく貰わにゃ まやん(老爺)になっど(なるぞ)嫁女もたんた(のは)お前だけ

【2番】菜の花ルーピン咲くころに やっと嫁女を貰れだした 日向かぼちゃのよか嫁女 今年しゃ田植が楽しかろ もぞらし(かわいい)嫁女がよくきたもんじゃ ぐわんたれ(つまらん)お前も ほいっぺ(一生懸命)やらにゃ

【3番】嫁女をつのじ(つれて)鵜戸まいり 青島みやげに夫婦びな シャンシャン馬の七峠 ヒャラヒャラヒャアット七ツ浦 まこちのさんね(つらいね)しょのませなんな(羨ましがらすな)ほめいた(熱っぽくなる)こっちゃろ赤毛布

【4番】今年もげど(外道)がしけがきた 土手がきれたらそらぼく(たいへん)じゃ 稲をしもたらてにゃわんど(手に負えないぞ) かかよはめつき(努力しろ) あんべらしゅ(うまく、上手に) お前もはりこめ(努めよ)いもがらぼくと 嫁女がせちこち(あわてて)もぞなぎが(かわいそうだ)

【5番】秋はよかしめ(収穫)ほぜ(豊年)日和 かかも珍しゅながぎもん(長袖の着物) ぼうど(みんな)はりくじ(奮発して)神酒のめ のんだら夜神楽せろじゃねか あんまりいくろち(酔っぱらって)ざまたれねえど(様子がない) てげに(たいていに)しておけ ぎす(空元気)だすな

【6番】やいや霧島雪じゃがい 千切つくのはきちけんど(つらいけど)来年がくれば人の親 のさん(つらい)よだき(したくない)は言うちゃおれん じゃがじゃが(ほんと、ほんと)まこち(じっさい)えれこつ(りっぱなことを)言うが 薬缶たぎり(一時にカッとなって、すぐわすれること)じゃだちもねど(仕様がないぞ)

 

ああでもないこうでもないと試行錯誤の後に完成した作品をレコード会社に送ったところ、あまりの方言で外国語のようで意味不明と言われ現在の形に相成ったのだそう。確かに元唄の「あんまりいくろち、ざまたれねえど、てげにしておけ、ぎすだすな」という歌詞では、他を寄せ付けない感じがするね。

ちなみに、わたしが好きな日向言葉は「ですです」と「だからですよ」。このあいだ「だからですよでございますよね」というスゴイのも聞いた。深い。

【「ですです」と勢いのよい返信はできずに「です」を短く返す】渡邊 円

参考文献:中村地平『日向』鉱脈社みやざき21世紀文庫

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更新日時:2014.08.21(木) 00:00:26

へべすサワーを君と飲むとき

たのしみは~に始まる橘暁覧(たちばなのあけみ)の連作は『独楽吟(どくらくぎん)』に収められている。

【たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時】

【たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時】

【たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時】

【たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮えてある時】

【たのしみは 機おりたてて 新しき ころもを縫ひて 妻が着する時】

食べものに関する歌も多くある。生活のよろこびって今も昔もそう変わらないらしい。

以前、短歌の先輩が「食事と短歌の宴」(うたげって言葉すてきですよね!)を開催した際に、

「皆さん【たのしみは~】ではじまり、【~とき】で終わる短歌をつくってみましょう!」

という演出があった。わたしも楽しく参加して、夏になると毎年思い出すような短歌ができた。

短歌は、どこからどこまでが真実であり虚構なのか…と聞かれることがよくある。それどころか、短歌に詠まれていることがすべて事実であると思われているふしもある。こんなことを言うと怒られてしまいそうだが、歌がよくなれば事実を変えてもかまわないのだとわたしは思っている。心の事実を短歌に表現できれば、そこに登場する人やモノが誰であろうと何であろうと構わない…。うーん、場合によって。なんですけどね。でも、真実だって思って読んでもらえるのは大変ありがたいのです。

 

例えば、今回のお題の短歌は31文字のうち

【たのしみは】の5文字 + 【とき】2文字 = 7文字を「必ず使う言葉」としている。

31文字 - 7文字 = 24文字を自力で生み出すのだ。声に出してみるのもいい。わたしは、たいがい喋りながら短歌をつくる。

【たのしみは ふふふふふふ ふふふふふ ふふふふふふふ ふふふふふ とき】

「たのしいとき、たのしいとき。なんだろう。お喋りしてる時って楽しいよねぇ。やっぱり2人がいいな。ちょっと近い距離で。となるとお酒かなぁ。」

【君と飲むとき】

結句は決まった。

「何を飲もうかなぁー。せっかくだから爽やかな季節を感じられる、香りの伝わるような飲み物がいいな。ビールじゃちょっと普通だし。宮崎の、宮崎の…へべす!いいね、へべす!」

【宮崎のへべすふふふふ】

へべすビール、へべすチューハイ、へべすモヒート、へべすワイン、へべすウォーター、へべすサワー!へべすサワー!いいね。へべすサワーを、君と飲もう!

【宮崎のへべすサワーを君と飲むとき】

【たのしみはふふふふふふふ宮崎のへべすサワーを君と飲むとき】

よし、いい感じだ。どんな宮崎だろう。どんな2人だろう。季節は夏の始まり?おわり?恋のはじまりの2人の会話もいいけど、より親密さを出したいな。もしかしたら終わりに向かっているかもしれない恋。それを感じさせるのは、めぐる季節。太宰も「明るさは滅びの姿だろうか」って言ってたし、夏のおわりでいこう。明るいわー。

という感じで、約5分ほどで完成した。

【たのしみは夏のおわりの宮崎のへべすサワーを君と飲むとき】渡邊 円

へべす蕎麦。

夏の盛りをむかえた瞬間、夏ももう終わりなのだと感じてしまう。暦のうえでは正しいのだね。人間も自然である。

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更新日時:2014.08.07(木) 00:00:38

夏みかん酸つぱし

夏は嬉しい。好きな食材で好きな料理を作ることができるから。

先日、家庭菜園で作った野菜をいただいた。友人は「みどりのゆび」の持ち主である。茄子や胡瓜やトマトを育てる楽しみは、きっと子育てのそれと似ている。ある場所を区分けして土をつくり種を宿す。天気に一喜一憂して、虫を払い、すくすくと育つようにと祈る。わたしもいつかは家庭菜園を持ってみたいと、前々から憧れている。

串間市大束に暮らしていた母方の祖母のことを、わたしと兄は「大束ばあちゃん」と呼んでいた。大束ばあちゃん家の裏には、家と同じくらいの面積の畑があった。鍬やスコップなんかの道具が置いてある小屋の側に、二本の夏みかんの木は寄り添いながら立っていた。

冬には黄色い果実がたわわに実る。けれどもそれには触らない。じっと眺めて過ごす。夏みかんはずっと黄色いまま、枝にぶら下がっている。菜の花の咲く頃に、ひとつだけ収穫するのは「まだ酸っぱいねー」を確認するための通過儀礼。紫陽花の咲く頃に、ようやくカゴいっぱいの夏みかんは収穫された。

台所で切り分けられたスイカやメロンはお皿にのって登場するわけだけど、夏みかんや林檎は特別で、大束ばあちゃんは食卓に包丁と果物を持ち込んで目の前で剥いてくれた。わたしと兄が剥いたそばから口にいれてしまうので、なかなかお皿はいっぱいにならない。歌いながら夏みかんを剥く大束ばあちゃんの手元をじっと見ていたせいか、包丁の持ち方や果物の剥き方だけではなく歌いながら果物を剥く癖までも自然と覚えてしまった。大束ばあちゃんは、わたしの短歌が宮日新聞の短歌欄に掲載されるのをいつも楽しみにしていた。たまに載ると「円さんの牧水が今日も載っちょったがーあはは」とよくわからないコメントで喜んでくれたのだった。

酸っぱい夏みかんは、シロップ漬けにする。ガラス瓶に黄色く納まる姿の、なんとまあ可愛いこと。水は大量の砂糖を含むと、つやっとひかりを放つ。つるんと皮を剥かれてシロップに浸かった夏みかんは、野生のそのままの女の子におしろいをつけてあげたみたいな様子だ。その姿を眺めていると身の内に不思議な高揚感を覚える。ガラス瓶ごと冷蔵庫に入れてつめたく冷やす。真昼でも真夜中でも何度も冷蔵庫からガラス瓶を取りだして眺めてしまう。小さな器によそうと、器はたちまち汗をかく。夏のおやつはなんて明るいひかりを放つのだろうと感心し、自分が夏みかんでないのがだいぶ残念な気持ちになる。

 

【夏みかんの種てのひらにこぼしつつ思い出となる夜をうたえり】渡邊 円

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更新日時:2014.07.21(月) 00:00:31

コアジサシとナミゲ取り

次の休みは串間に帰ろっかな!と思ったら、まず歩ちゃんに連絡をいれることにしている。

目的は、今町の浜のビーチクリーニング。思い返せば2年前、お腹まわりや肩のあたりに今までにないモッタリとした冬羽のようなものをまとっていたわたしは、近所の幼なじみの歩ちゃんに「運動しようぜ!」と持ちかけたのだった。さっそく、朝の浜辺や夜の町を歩くことに。利己主義的なところがおおいにあるわたしの目的はダイエットだったけれど、歩ちゃんは歩いてる最中も「ああー、あのゴミが気になるぅ」と言い言い歩き「まどかちゃん、ビーチクリーニングしようやー」と言うので、せっかくの申し出を断る理由もなく、考えてみれば同じ時間を使って同じ場所を歩くのならそりゃーゴミでも拾ったほうが世のためだと判断したわたしは「おう、やろうやろう」と賛同した。

それから、毎週火曜日の朝約6時に「お互いに都合がよければ今町の浜に集合」ってことで、しばらく続けてみた。ビーチクリーニングをやってみると、まず季節ごとの風景の美しさに気付く。美しいってひと言で表現してしまうんだけど、もーそれはそれは美しい。冬の朝は、紫がかった空にだんだん白いひかりが海面からあふれ出す。ある日は瞬きをしてる間に、ある日は目の前を鳥が横切る間に、朝はやってくる。それから先は、ひかりの世界だ。ひかりあふれる浜には、鳥や犬や猫や大人や子供が集う。一遍の小説やテレビドラマが描けるんじゃないかと思うほど。幾たびも、心のカメラが自然に回ってしまう瞬間に立ち会うことができた。そして夕暮れ。夕暮れは、真っ赤な、オレンジ色の、朱色の太陽がじわじわと海に沈む。そして、闇に入るまでのほんの数分間、紫を見せる。それらを背景に、わたしたちは変わりなく「最近どうよ」と、お互いの近況に、ときには社会問題に、やっぱり自分たちの近況に興じる。ちいさい町に暮らしていると、それぞれの個人的な事象にいかに地域が関わっているかをしみじみ感じさせられる。きっと、同じベクトルで会話のできる友人を得た喜びがわたしを毎回ビーチクリーニングに向かわせるのだろう。

 

夏には、コアジサシがやってくる。今町の砂浜で繁殖するため、集団でやってきて沢山の卵を産む。朝、太陽が昇るとすぐに活動を始めるのだろうか。浜辺にわたしたちが近づくと「キー」だか「ギー」だか不穏な声が、上空で同時多発的に発生する。「大丈夫よー卵は取らんよー拾うのはゴミやがー」と言い言いビーチをクリーニングする健全で穏やかなわたしたちであるのに、コアジサシはくちばしと足を黄色く光らせて威嚇してくる。これが不健全な目的で浜辺にやってきたわたしたちなら、威嚇どころか大変な目に遭っていただろう。コアジサシの心はコアジサシにしか解らないけど、一生懸命、気持ちを訴えかけてくるように見えるところが好きだ。ところがあんなにキーキー言ってたのに、日没とともに姿を消してしまうところもアッサリしていて好きである。

※地元のボランティアの方々が、コアジサシの保護活動を続けています。

そして楽しい「ナミゲ取り」。

ナミゲというのは、正式には何と言うのだろう。今町の浜で取れるシジミのような貝=ナミゲを要するに「潮干狩り」するのだが、これが病みつきになる面白さなのだ。

穏やかな波がザパーンと打ち寄せて、それがサーっと引いていく、その瞬間を見逃してはいけない。波にぬれた砂の表面に、ナミゲの呼吸する跡が、プチプチはじける泡が見えましたか。さささっ、と。次の波が来るまえに、素早くナミゲを収穫するのです。どこまでも続く砂浜ってわけではないけれど、海は、広くて大きな懐を見せてくれる。

スリリングかつエンドレス。古来より今町っ子に好まれたらしく、わたしの祖母も叔母たちも、もちろん私も、近所の小学生も、ひたすらナミゲとの対話を続けて来た。こう、何と言うのでしょう。ドーパミン?アドレナリン?何だか、心身によい感じになるのだよね。

結局集めたナミゲは、みそ汁にしてもあんまり美味しいモンじゃないから、リリースして、帰る。拾ったゴミは、もちろん持って帰る。

朝日を浴びて、ちょっと運動すると朝ごはんが美味しい。

夕陽をみて、帰宅するとビールが旨い。

ビーチクリーニングは良いこと尽くしなのだ。

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『日向の空』

脳天に太き湯を浴び澄みわたれば蟹がみておりじっと見て居り

らんらんと光帯びたる童女二人は湯の辺のわれに言向け和す

太陽が海にざぶんと飛び込めば日夜日夜八夜を遊ぶ千鳥よ

夕闇に息をひそめた手のひらの星は溢れてふうふうと舞う

星空とわが胸音が響きあえばよきかな生きて地でも夢でも

銀糸を渡し結わえるまんてんの日向の空のこころまろさよ

痛みなどほんとは無くて水澄まし月の雫にぬくめられゆく

 

2010年10月の『塔』10代20代特集に参加した作品。

はじめての連作で、串間温泉と今町の浜を素材にしている。ちょうどこの頃に宮崎に帰郷し、伊藤一彦先生と出会い『心の花宮崎歌会』や『歌工房とくとく』そして『noteの会』に参加することになる。今思うと転機だった。ついこの間の出来事であるのに。

 

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更新日時:2014.07.07(月) 00:00:11

千切りとキルティング

無心になる時間を、ときどき持ちたくなる。

わたしの通信のライフラインはスマートフォンのみ。PCでのネット作業のあれこれは、休日に図書館でまとめて済ます。足りない分は、スマートフォンのテザリング機能を使う。じゅうぶん事足りる~と、たかをくくってっていたけれど、宮崎の梅雨を甘くみていたことに気付く。入梅以降の暴風雨に、移動手段徒歩および自転車のわたしは、図書館通いどころか通勤や日用品の買い出しさえままならなくなった。たちまち食糧難だ。冷凍庫に作り置きしてあるカレーをチンして食べながら、ちいさな存在であるよなぁと。たいへん思います。

部屋のすみに放置していた作りかけのキルトを手にしてみる。もう、ずいぶん長い間、多忙を言い訳に後回しにしてきた。キルト針も、錆びてしまっている。外は相変わらずの大雨だし、部屋にある本もおおかた読み尽くしてしまった。TVもないし…。シンブル(指貫き)は、ミントの入っていたアルミの缶に納まっている。右手なか指に金属製のシンブルを、ひとさし指にゴムの指サックを、左手は素手で受ける。キルティング用の蝋塗りの糸を短い針に通す。そうだ、わたしは腕幅よりちょっと長めに糸を使うのが癖だった。玉むすびを、キルト綿に隠して針を進める。聞こえるのは雨の音と、往来を行き交う車のタイヤが水をはじく音…のみ。あっという間に時間が過ぎる。

それから数日のち、母が野菜を届けてくれた。合鍵を渡してあるので、留守中にときどき来て、冷蔵庫をいっぱいにしてゆく。片道2時間の運転が心配。外は、相変わらずの暴風雨だし(いや、ほんとに心配)。

届いた野菜のなかから新鮮なそら豆とニンジンを取りだす。

そら豆は、素焼きにして串間の大田商店の「夢の塩」で食べる。

ニンジンは、斜めに薄切りして、ほそーく、ほそーく、刻む。ボウルいっぱいに、ふわっと仕上がった千切りにも、「夢の塩」と、オリーブオイルをかけて、食べる。ひとりでわしわし食べる。お腹いっぱいになる。よし。これで大丈夫だ。

よし、大丈夫だ。と、ほっとした時、千切りとキルティングが同じ効果をもたらすことに気がついた。無心に手を動かす間、心(頭なんだか心臓なんだか)は、フラットに保たれる。大発見だ。

追伸:先日、所属している短歌の女子会に参加しました。(40代の子育て世代を中心にした歌会に、みそっかすとして加えていただいているのです…)。会の名前は「noteの会」というのですが、塩を炊く兄妹の、まるで神話にありそうな連作をだされた方がいて、すごーく印象に残りました。きっと、ベースは事実で、モデルになった兄妹がいるのでしょう。それが、短歌としてたちあがったとき、ファンタジックでエロチックで、原始の愛のようすなども、言葉と物語に込められていて、ひさびさにうっとりでした。海水をくみ上げる場所があり、行為があり、会話があり、人があり、それを生活の糧とする古代から続く営みを描けるって素晴らしいよね!その作品群がいつどこに発表されるかはわかりかねるのだけど、公開されたらぜひご紹介したいなぁーと思っています。

雨も好きだけど、宮崎の太陽の光が恋しいですね。梅雨ですね。

【セロトニンください夏至の夜ねむる力まぶたにひかりをあてる】渡邊 円

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更新日時:2014.06.21(土) 00:00:56

雨の都井岬と飫肥城下

東京からのお客様をお誘いして、都井岬と飫肥城下を訪ねた。

朝からあいにくの大雨で足元が心配だったが、濃い霧のなかから突然!野生馬!の現れる、雨の都井岬の良さを知っているわたしは、助手席と後部座席の心配顔を横目に、そしらぬ顔で走りなれたR448を運転。

わたしたちが故郷を思うとき、浮かべるのはどんな風景だろう。街路樹のワシントン椰子、照葉樹の森、飛び魚漁の漁火、都井岬の野生馬、幸島の猿、今町の浜に沈む夕日。旅情を感じる風景のど真ん中に「暮らし」があることに、今さらながら驚いている。

江戸時代、高鍋藩秋月家は軍馬を生産するために藩営牧場を開いた。ここに御崎馬は誕生する。

広辞苑には、

みさき-うま【岬馬】宮崎県都井岬にいる半野生の馬。日本在来馬の体形を残すものとして天然記念物に指定。

とある。

かつて軍馬として、あるいは農耕馬として望まれ放牧されていた御崎馬は、農業の機械化に伴い需要が見込めなくなったようだ。しかし御崎馬は、昭和二十八年に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定されたことをきっかけに国・宮崎県・串間市の補助事業として保護策がとられ、現在では観光地でありながら、その敷地内で野生本来の姿を見せてくれる。

都井岬は、人間と自然の長きに渡る係り合いによって、当の本人たちも気付かないところで偶然にもユートピアを作り上げた。

都井岬に歌碑のある若山牧水の【日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海見る】や、伊藤一彦先生の【母の名は茜、子の名は雲なりき丘をしづかに下る野生馬】など、都井岬を舞台にした名歌は多くある。いくつか、あげてみたい。

日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海見る                『別離』    若山牧水

椰子の実を拾ひつ秋の海黒きなぎさに立ちて日にかざし見る

あはれあれかすかに声す拾ひつる椰子のうつろの流れ実吹けば

秋、飛沫、岬の尖りあざやかにわが身刺せかし、旅をしぞ思ふ            『死か芸術か』

浪、浪、浪、沖に居る波、岸の浪、やよ待てわれも山降りてゆかむ

 ☆

のぼり立つここは日向の都井岬伊藤一彦が海を指さす              『火を運ぶ』佐佐木幸綱

逝く秋のはるかな丘に立つ馬をまずはつつめり闇のむらさき

眼の下をゆく鳥一羽沖へ沖へ引かれてい行くごとくはずみて

一枚の水とぞ見おり夕海のやや明るめるしばらくの時

 ☆

群るるとも個は個にありて野生馬の色の暮れゆく都井岬の秋        『青椿抄』  馬場あき子

丘の空に馬七つ八つ黒くゐて都井岬夕ぐれを沈黙す

野生馬は岬山の草を音たててむしり食みつつ人見ざるなり

野生馬のまつげ長くて秋風に(うな)(さき)そよぐひかりみてゐる

 ☆

闇のなかにけだものの肌にほひたち都井の岬の夜山そよげり        『天の鶴群』岡野弘彦

島山の木むらにひそむ夜の鳥のおどろきてあぐる声とほるなり

雌を率て屋根にいななく雄馬のきほへる歩み憎からなくに

夜の海のうねりしづかになりにけり岬の端に舟ひとつ浮く

 ☆

母の名は茜、子の名は雲なりき丘をしづかに下る野生馬                  『海号の歌』伊藤一彦

視力なき月盲の母待ちてゐる一頭なしや夕光に消ゆ

つぎつぎに投げあげらるる松明の生きもののごと闇をとびかふ            『火の橘』 

大蛇にぞ見たて立てゐる百尺の高き柱松火のかすめとぶ

柱松のいただきつひに火は入りて燃え上りたり大蛇火を吐く

口より火吐きたるのちは倒したりされど浄ければ火は消さずをり

望の夜に大蛇の出でしをののきをわれら継ぐべく岬のまつり

詳しい解説は、都井岬短歌大会の講演録をご覧ください_(._.)_ → http://blog.livedoor.jp/marumarutanka/archives/3332677.html

雨、雨、雨、大雨に降られて、飫肥城跡を見学するのもはばかられるほど。雨の都井岬は得意だけど、雨の飫肥は初めてのことで「まいった、まいった」と思う頭の上で、雨脚は、どんどん激しさを増してゆく。

それでも女子が3人集まれば、何があっても女子は、ランチを食べる。

飫肥は飫肥城を中心とした飫肥藩5万7000石の旧城下町。

江戸時代の武家屋敷町、町人町、寺町などの町並みが多く残され、市街地の八幡通り、横馬場通り、大手門通りなどが文化財保護法に基づき重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、「九州の小京都」とも称されている。

1587年に豊臣秀吉の命により伊東祐兵が飫肥の地にやってきてから、廃藩置県までずーっとずーっと伊東氏が藩主を務めた。

「服部亭」は、飫肥御三家のひとつで江戸時代から続く山林王、服部家の旧邸宅を利用した食事処。

飫肥の郷土料理を食べられる、県内でも数少ない食事処のひとつ。ランチメニューの服部膳は、飫肥寿司(漬けマグロ、イカ、タコが入っている)、飛び魚の刺身、切り干し大根の小鉢、飫肥天、むかでのり、飫肥の卵焼きなど、郷土の魅力満載。

約100坪の日本庭園を眺めながら、しっとりのんびり。食後のお菓子と薄茶には、雨に濡れた庭の草花がひとりひとりに添えられて、うれしい。とても、うれしい。

宮崎は、梅雨まっただ中。南郷では、ジャカランダが見ごろを迎える。雨の県南観光も、思いのほか(実は思いどおり)楽しいもの。

6月の雨に打たれる、都井岬の紫陽花と野生馬の黒くひかる身体。飫肥城下に傘をさして母を待っている、幼い頃のわたし。過去と今、未来の時間がゆき交う県南地域は、日常も、非日常の旅情も味わうことのできる不思議な魅力を湛えている。

 

 

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更新日時:2014.06.07(土) 00:00:47

山古志村

新潟県中越地方に位置する山古志村は、2005年に長岡市に編入合併された。

 

山古志は「どこにでもある村」とは正反対の「どこにもない村」。山古志には、魅力がぎっしり詰まっていた。

 

都市では、大規模なニュータウン開発の進められていた1970年代に、山古志の村おこしは進められた。村の資料に「民俗学者の宮本常一が村おこしを手伝った…」という一文を見つけ、山古志の特色のありすぎる所以はここにあるのか。さもありなんすぎ!と深くうなずいた。誰かの描く理想郷が具体的であり、夢やロマンといわれる思いがつよく(それはときには呪詛的なものであるかもしれない)込められていたなら、今目の前にある不思議な村を、現実の村として作り出すことができる。と、解ったつもりになった。

マスメディアの出現による大衆文化、大量生産、大量消費による物質主義、マイカー時代による古い街の一掃、村に人がいなくなるといった昭和の時代から危惧されている課題に真っ正面から取り組んだ山古志。それから約半世紀経た現在は、棚田を活用した錦鯉の養殖は村の大事は産業として定着しているし、中越地震を経て10年をむかえる今日は、アルパカ牧場やお花畑が村に彩りを添えている。

 

【山古志村の魅力】

<闘牛>「牛の角突き」と呼ばれる闘牛が有名。

<錦鯉>山古志村は、錦鯉発祥の地。錦鯉養殖のための水槽の庭先にある民家の多いこと!

<棚田> 山古志村の棚田は、稲作と錦鯉の養殖用に使われている。

<アルパカ>中越地震後、村のおじいちゃんおばあちゃんから孫のように可愛がられているアルパカ。村には二箇所のアルパカ牧場がある。

<山菜>村の木はブナ。村の花はハギ。雪深い冬を越えて春になると、山菜が嬉しくてぴょこぴょこ顔を出す。春の恵みの山菜をどっさり収穫し、軒先で茹で、ムシロを曳いてひたすら揉む村人の姿があちこちに見られた。長い冬を越え、暖かくなった喜びをかみしめるかのよう。

 

アルパカ牧場を後に、村役場(現:長岡市山古志支所)までテクテク歩いていると、庭先で山菜を茹でているおばあちゃんと出会った。

話しかけると嬉しそうな笑顔を返してくれたので、わたしも嬉しくなった。時間を忘れて話に興じる。九州の宮崎から来たのだと伝えると、おばあちゃんはおもむろに物語り始めた。

おばあちゃんは、20代のころ愛知県にある紡績工場で働いていた。工場には鹿児島や宮崎から働きに来ている同世代の女の子がたくさんいて、仲良くしていたらしく、彼女たちの言葉がいまいちよくわからなかったけど「よかにせ」って単語だけは今でも覚えているの!と笑いながら教えてくれた。それと、大きなボンタンという名前のミカン、ボンタン飴っていうのもあったね!不思議なチマキ(アクマキのことらしい)も忘れられないよね!目の前のおばあちゃんは、まるで20代の女の子のように頬をあかくそめて、目をかがやかせて、話してくれた。

「これからムシロを敷いて、その上で山菜を揉むんだ」というおばあちゃんとお別れをして、ふたたび村役場を目指して左まわりに大きくカーブした道をいい気分で歩いた。

 

補助金を受けて運営している資料館は、小規模ながら展示に「思い」が込められていた。平日にもかかわらず観光バスが何台も停まっている駐車場の様子は忘れがたい。

 

わたしたちは、それぞれの土地の風土に似合う生活をしている。そして、その生活を支える仕事をし、それぞれの個人的な物語を折り重ね、未来を紡いでゆく。

宮崎県のいくつかの市町村も、山古志村と同じ様に合併を経て現在にある。

宮本常一と村の方々が理想郷をつくりあげたように、岩切章太郎翁をはじめ現在も多くの人が、宮崎の「大地に絵を描」き続けている。

 

【山古志のちいさな旅のすぐ後にずっと会えなくなってしまえり】渡邊 円

暮らしということを、年を重ねるということを、運命ということを、わたしは一生のうちに一体どれだけ理解できるのだろうか。旅を経てからずっと考えている。

 

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更新日時:2014.05.21(水) 00:00:24
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