漁師町のとうちゃんとかあちゃんの話~日南市漁協女性部加工グループ~

松本千広

食べること、飲むことをこよなく愛す。
2002年、宮崎日日新聞社入社。
以来、編集局報道部(警察、県政、市政)や同社デジタル部門などを担当。
現在は、地方新聞社厳選のお取り寄せサイト「47CLUB(よんななくらぶ、http://www.47club.jp/)の担当として、宮崎県内の「よいもの、うまいもの」を全国に紹介するために奔走中。
宮崎県農業振興公社主催の「みやざき6次産業化チャレンジ塾」で「6次化推進プロデューサー育成コース」修了。

浜のハンサムウーマンにエールを! Vol.4

宮崎県の近海カツオ一本釣りの漁獲量は なんと20年連続日本一(2014年現在)。 このうち日南市大堂津港は、 県内でも特に古くから水揚げが盛んな街として知られています。 今回は交通事故で亡くなったとうちゃんの意思を引き継ぎながら、 「おいしいカツオを毎日の食卓に並べて、 たくさんの家族に笑顔で味わってほしい」と願い加工場に立つ 浜のハンサムウーマンを紹介します。  


 

長渡小夜子(ながと・さよこ)さん「かつおうみっこ節」「かつお角煮」などの味付けを担当。2男の母。65歳。

 
  小夜子さんの夫・英文(ひでみ)さんは、大堂津漁協の職員で、 水揚げされたカツオの販売や販路の確保を担当をしていました。 燃油高騰や魚価の低迷、漁獲量の減少など、 漁師を取り巻く環境の厳しさを身に染みて感じていた英文さんは、 船が大堂津港に帰港すると、 ほとんど自宅に帰ることはありませんでした。 「少しでも高値で買い取ってくれるところを探して 市場へ問い合わせをしたり、加工先を探したり。 仕事に関しては本当に厳しい人で、 放ったらかしにしておくことができないまっすぐな人でした」と 小夜子さんは振り返ります。   そんな英文さんはいまから23年ほど前、 交通事故に遭い43歳という若さで他界しました。 自身も生後5カ月のころ父親を亡くしたという小夜子さんは、 「子どもたちには家庭の事情を理由に やりたいことを諦めてほしくなかった」と “男役”もこなしながら懸命に働き、 2人の息子を育て上げたそうです。   英文さんが亡くなった2年後の平成6年ごろ、 大堂津漁港ではシイラが大量に水揚げされたため、 そのすり身を作るために加工センターが設立されました。 当時、県漁連の職員だった小夜子さんは 縁あって同センターで働き始めましたが、 いつも自然相手、 浮き沈みも激しく予測のつかない漁業を象徴するかのように、 シイラの漁獲量は次第に減少。 採算の合わないセンターを閉鎖する話も一時はあったそうです。   その後、同センターの業務を引き継いで 平成13年に日南市漁協女性部加工グループが発足。 現在もグループの代表を務める竹井友子さんや、 小夜子さんら多くのメンバーのがんばりで 大堂津港で水揚げされた新鮮なカツオを使った「かつおうみっこ節」や、 トビウオを原料にした「魚うどん」などが製造されています。   魚影を追って誇り高く沖に出港する漁師たちと、 うまくいかないことがあっても「漁師たちのため」と ひたすら想いを貫き通した夫・英文さん。 そんな夫の想いを受け継ぎながら、 小夜子さんはきょうも大堂津港の加工場に立ちます。   *************************   ☆Facebookの「いいね!」をクリックして、浜のハンサムウーマンにエールを!☆ ☆in SEASONスタッフ☆森ちゃんのブログはこちらから♪☆  

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更新日時:2015.03.05(木) 21:24:08

浜のハンサムウーマンにエールを! Vol.3

父からは強さを、母からは優しさをー。 漁師の家は代々、そんな教えを親から子に受け継ぐそうです。 今回は、カツオ漁師の父の強さと、 いっぽいっぽ、自分のペースで前に進む 浜のハンサムウーマンの優しさを受け継いだ 親と子のお話しを紹介します。  


 
河野智恵美(かわの・ちえみ)さん=写真・右= 日南市漁協女性部加工グループ 大堂津女性部に所属して9年目。串間市生まれ。縁あって漁師の嫁に。1男1女の母。52歳。 河野豊輝(かわの・とよき)くん智恵美さんの長男で、日南高の2年生。サッカー部に所属し、ポジションはFW。将来の夢は保育士。16歳。

河野智恵美(かわの・ちえみ)さん=写真・右= 日南市漁協女性部加工グループ 大堂津女性部に所属して9年目。串間市生まれ。縁あって漁師の嫁に。1男1女の母。52歳。河野豊輝(かわの・とよき)くん智恵美さんの長男で、日南高の2年生。サッカー部に所属し、ポジションはFW。将来の夢は保育士。16歳。

 
  智恵美さんは、串間市の山あいのまちに生まれました。 実家はもともと農家で、父親は大工、母親はかんしょを生産。 漁師の嫁になるまでは、平均的な若い女性と同じように 大きな魚をさばいたことも、触ったこともなかったそうです。   転機は31歳のときでした。 社会人として医療機関で働いていた智恵美さんは、 当時通っていた日南市の自動車学校の先生の紹介で、 未来のご主人さまとなるカツオ漁師の恵一さん(52)と出会いました。 「もしかしたら、カツオにつられたのかも・・・笑 主人は会うたびに大きなカツオを1匹、持ってきてくれたんですよ。 お船が(港に)帰ってこないと、会うことはできないですし。 主人は、漁から帰ってきたらそのたびに カツオを持ってきてくれたんです」と 当時のエピソードについて、 ちょっと恥ずかしそうに、こっそり教えてくれました。   32歳で結婚しましたが、漁師の恵一さんは家をあけることも多く、 当初はさみしいと思う気持ちもあったそうです。   たとえば、長崎の海へ漁に出るとき。 恵一さんは、6月から8月のお盆まで2カ月くらい不在となります。 「子どもが病気になったり、熱を出したり、 子育てをしていると1人で抱えないといけない問題も多かったですね。 子どもの運動会だとか行事があっても、 タイミングが合えばラッキーな方で、 主人はほとんど参加することはできませんでした」と振り返ります。   それでも、笑顔で「・・・でも」と続けます。 なぜなら。 そんなときは智恵美さんのご両親はもちろん、恵一さんのご実家や、 隣近所の方々が手を差し伸べてくれることが多かったからです。 「いつも周りの人に助けられてきました。 そして、なによりも子どもの存在が大きいんです」と智恵美さん。 「子どもがいるから、がんばれます。 子育てしながら、自分も成長していると思います」   智恵美さんには福岡の専門学校に通う長女の真奈ちゃん(19)と、 高校2年生の長男・豊輝くん(16) の2人の子どもがいます。 豊輝くんは、母親の智恵美さんについて 「いろいろと大変だろうけど、いつも笑顔で明るい母です。 自分のためにがんばってくれているって思います」 ちなみに、智恵美さんの手料理で好きなものは、 部活の前に作ってくれる「“かつおうみっこ節”のおにぎり」だそうです。   智恵美さんは、加工グループのお仕事を始めてから今年で9年目を迎えます。 当初は、大きな魚をさばくことも、さわったこともなかったという智恵美さん。 「分からないことは職場の先輩に教えてもらいながら、 さばき、皮むき、ゆがき、なんとかできるようになってきました。 それに、子どもの参観日や子どもが病気になったときなど、 職場の方が融通してくれて、理解してくれて。 ここでも周りの方に助けられています」と感謝の言葉を口にします。   最後に、家庭と仕事の両立に奮闘する 母親の背中を見つめながら育った豊輝くんは、 ちょっと照れくさそうに智恵美さんへこんなメッセージを贈ります。 「将来就職したら、たくさん親孝行します。 高い肉も、食わせます。 いろんなところに連れて行きます。 ・・・ほんとうに、感謝しています」   *************************   ☆Facebookの「いいね!」をクリックして、浜のハンサムウーマンにエールを!☆ ☆in SEASONスタッフ☆森ちゃんのブログはこちらから♪☆  

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更新日時:2015.02.19(木) 21:15:51

浜のハンサムウーマンにエールを!Vol.2

浜の女性の魅力は、優しさとしなやかさ。 そして、かあちゃんたちはとっても働きものです。 日南市大堂津港にある女性部の“パワースポット”加工場は、きょうもにぎやか。 かあちゃんたちのとびっきりの笑顔があふれています。 **************************

ペア

【1人目のかあちゃん】太田 豊子(おおた・とよこ)さん=写真・右= 日南市油津漁協女性部加工グループ代表。元看護師の経歴を持つ。2男1女の母。62歳。 【2人目のかあちゃん】近藤 マサコ(こんどう・まさこ)さん 50年に渡り夫婦そろってイセエビ漁のため沖に(現在は引退)。2女の母。74歳。

************************** 日南市油津漁協女性部加工グループ代表の太田豊子さんは、 元看護師という経歴をお持ちです。

22歳のときに、当時、サラリーマンとして働いていた夫の義一さん(64)と結婚しました。

そして、結婚から6年後。 義一さんは家業を継ぐため脱サラをして、マグロ漁師となりました。 これまで、本当にいろんなことがあったそうです。 魚価の低迷に燃油高騰・・・。水産業を取り巻く環境は厳しく、 豊子さんは「自分が漁師の奥さんになるとは、結婚した当時は正直思っていませんでした。 人様には言えない苦労も多かったけど、いまはこうやって加工場に来て、 メンバーの皆さんの顔をみるとほっとします」と すべてを包み込むような、優しい笑顔を浮かべます。   そんな豊子さんのよき理解者として、傍らに寄り添う近藤マサコさん。 1965(昭和40)年ごろから、旦那さまとイセエビ漁の船に乗っていたそうです。 午前2時に起床して、夫婦2人そろって沖に向かう生活を50年ほど続けました。 そして、午前8時半には女性部の仕事が始まる加工場へ出勤、 1日の睡眠時間は4時間というハードな時期もあったそうです。 マサコさんは「加工場は私にとってのパワースポットなんです」と話します。 「ここで、みんなとお弁当を食べたり、お茶を飲んだり。 休憩時間にみんなでおしゃべりするのも楽しいですね」と たくさんの元気を豊子さんをはじめ、メンバーの皆さんからもらっているようです。   同グループには現在10人のメンバーがいます。 ただ、主婦の毎日のあれこれをこなしたり、家業の手伝いをしたり、 子育ての事情もあったりと、それぞれが事情を抱えているので、 現在は8人前後で活動を続けているそうです。   豊子さんは、「魚(ぎょ)うどんをはじめ、 日南の郷土料理を後世に伝えていくことが私たちの使命。 私たちの代で途絶えさせることは絶対にできない、 という強い思いでみんながんばってくれています」とグループの団結を語ります。 「私がね、『きょうはこのくらいでやめとこうか』というと、 『うんにゃ~!!まだまだやるわ』って。 まだがんばれるって、みんながそう言ってくれるんですよ。 ひとりひとりのメンバーの存在があってこそ、グループの輪ができて、 私たちは活動を続けることができるんです」とメンバーへの感謝の言葉をつづります。   そして、周囲は豊子さんのリーダーシップと人間性に魅かれて 加工場に集まってくるようです。 「私たちのことを、本当にあたたかい目で見守ってくれています。 みんなを大きく包み込んでくれるような力が、豊子さんにはあるんです」   *************************   ☆Facebookの「いいね!」をクリックして、浜のハンサムウーマンにエールを!☆ ☆in SEASONスタッフ☆森ちゃんのブログはこちらから♪☆  

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更新日時:2015.02.05(木) 21:57:40

浜のハンサムウーマンにエールを!Vol.1 

「ありがとう」の言葉を相手に伝えるって、 本当は照れくさくって、結構、難しかったりします。 これまでの苦労話を自分自身で語るのも、何だか恥ずかしいし、 気後れしそう。 でも、大切な家族や仲間に「ありがとう」の言葉を伝えることなら できそうな気がする―。 口下手な漁師のとうちゃんが、 精一杯の「ありがとう」の言葉をかあちゃんに贈ります。 **************************

【「ありがとう」を贈るとうちゃん】 竹井 均さん たけい ひとし 1948(昭和21)年生まれ。高校卒業後、漁師の道に。心筋梗塞のため、船の上で亡くなった兄の後を28歳の頃に継ぐ。カツオ漁師。68歳。 【「ありがとう」を受け取るかあちゃん】 竹井 友子さん たけい ゆうこ 1947(昭和22)年、漁師一家の長女として生まれる。現在、日南市の漁協女性部加工グループ代表を務める「浜のハンサムウーマン」であり、2男1女の母。県外に住む孫にカツオの加工品を送り、「おばあちゃん、おいしい」と喜んでもらうのが何よりの楽しみ。67歳。

【とうちゃん】竹井 均(たけい ひとし)さん=写真・左= 1948(昭和21)年生まれ。高校卒業後、漁師の道に。心筋梗塞のため、船の上で亡くなった兄の後を28歳の頃に継ぐ。カツオ漁師。68歳。 【かあちゃん】竹井 友子(たけい ゆうこ)さん 1947(昭和22)年、漁師一家の長女として生まれる。現在、日南市の漁協女性部加工グループ代表を務める「浜のハンサムウーマン」であり、2男1女の母。県外に住む孫にカツオの加工品を送り、「おばあちゃん、おいしい」と喜んでもらうのが何よりの楽しみ。67歳。

************************** かあちゃんは、優しい面もあり、厳しい面もある人。 そして、辛抱強い人。 仕事柄、カツオの群れを追って 1年のうちに12月と1月の休漁期しか大堂津にいないから、 家に帰ると健康のこととか、食事のこととか、 いろいろと気を遣ってくれる。 漁師は船の上で寝る時も板っこ1枚の生活だし、 いつも危険と隣合わせの仕事。 「あそこが痛い」「ここが痛い」と 体がいうことをきかないことも多くてね。 俺のことを、いつも、いつも大切にしてくれて、 本当にありがたいと思ってる。   大堂津に帰って友子の顔をみると、やっぱり安心するし、 気心が知れているから落ち着くわ。 俺たちは地元の隣近所の幼馴染で、 俺が26歳、友子が25歳の時に結婚した。 優子は昔から優しくてべっぴんさん。 当時は俺が一方的に好きやったとじゃないやろうか。 どうやろうか。   結婚して4年目ぐらいのころ、漁師人生で一番厳しい時期があった。 それでも俺は大堂津を離れて船に乗らないといけないから、 友子は1人で家庭を切り盛りし続けてくれた。 電話で話そうにも、当たり前やけど海の上だと電波は届かんし、 話を聞いてやれるのも県外の港に寄港したときだけ。 それでも、友子から「辛い」という言葉を聞いたことは一度もない。 ほんと、俺は友子がいなかったら、どうなっていたのか分からんわ。   ただ、厳しい面もあってよ。 大堂津に帰ってきて居酒屋なんかに飲みに出掛けたり、 パチンコに行ったりすると「飲み過ぎ、やり過ぎはダメよ」って。 まあ、俺は好きだからやめられないけど笑   友子は、浜の人間である俺を、ずっと支えてきてくれた。 今の女性部の加工グループの取り組みも、 好きなこと、やりたいことをやっているんだから、 支えてやらんと、と思っている。 お歳暮の時期とか、友子の仕事が忙しくて帰りが遅いときなんかね、 俺が食器を洗ったり、洗濯物を取り込んだりして、協力するとよ。 友子が「辞めたい」と思うまでは、思う通りにやってほしい。 いつも、いつも、本当にありがとう。   **************************   ☆Facebookの「いいね!」をクリックして、浜のハンサムウーマンにエールを!☆ ☆in SEASONスタッフ☆森ちゃんのブログはこちらから♪☆  

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更新日時:2015.01.15(木) 14:19:24

ごあいさつ

皆さま、はじめまして!

このたび、宮崎の旬に出会える食旅メディア「in season」にて、

日南市漁協女性加工グループの皆さまをご紹介する

「漁師町のとうちゃんとかあちゃんの話」を

担当させていただくことになりました宮崎日日新聞社の松本千広です。

私は現在、地方新聞社厳選のお取り寄せサイト

「47CLUB(よんななくらぶ)、http://www.47club.jp/」の担当として、

宮崎の「よいもの、うまいもの」を全国に紹介するために日々、

県内をぐる~りと奔走しています。

このコラムでは、同グループのメンバーの方々や

その家族の皆さまにインタビューし、

「浜のハンサムウーマン」たちの横顔を

日南市大堂津の美しい風景とともにお伝えしていけたらと思っています。

記者時代にいただいた様々な素敵な出会いのおかげで、

宮崎の水産業は、個人的にも強い思い入れのある産業のひとつです。

いつか、水産業に携わる方々に恩返しをしたいと思っていましたので、

今回コラムのお話をいただいたときには、

関係者の皆さまに対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。

これから今年3月までコラムを連載します。

どうぞよろしくお付き合いくださいませ♪

松本 千広

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更新日時:2015.01.13(火) 15:44:05

コラムをスタートします!

現在、執筆中につき暫くお待ちください!

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更新日時:2014.12.25(木) 11:19:58

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