訪問したのは残暑厳しい8月の末。宮崎県の西部、三股町にある(株)しも農園にお邪魔しました。お話を伺ったのは、代表の下石正秋さん。事務所内には自社製品とあわせて、ごま作りの工程が写真を交えて紹介する展示もあり、きめ細かく熱心に教えていただきました。
まず、驚いたのがごまの国内自給率です。国内自給率は、現在1%どころか、0,5%にも満たない、0,1%にまで落ち込んでいます。ごまそのものや、ドレッシング、ペースト、サプリメントなど、近年の健康ブームに乗って需要は増えているものの、流通している国産のごまがほとんどないのが現状とのこと。また、ごま生産自体が農業の中でも極度にニッチな分野な為に、専用の農機具の開発がなかなか進まず、昔ながらの手作業で農作業を行っています。
ごま作りの私自身の記憶といえば、兼業農家だった祖母が、畑に植えて、雑草をこまめに抜いて、刈り取った後に、天日干しでカラカラに枝ごと乾燥させ、ゴザなどの上で実を振り落とすという手順をすべて手作業で行うという光景。下石さんに、30年くらい前の懐かしい思い出として語ったところ「今もほぼ同じです」という驚きの言葉が返ってきました。


三股町でごまの生産が本格的に始まったのは、平成20年。Uターンで地元に帰ってきた人たちが、町の農産物の核となるものはないかと調べた所、かつて三股町がごまの生産地だったことがわかりました。江戸時代には大阪方面へ換金作物として船便で送られるほどの一大産業だったということです。
そこで、現代の環境でも生産に適しているか実験的に育ててみると農業の未経験者でも育てることができる程、気候や土壌が適していたとのこと。さらに、現在の農産物の生産で大きな課題になっている、猿や猪、鹿等が実を食べてしまったり、田畑を荒らす鳥獣被害もほとんどないこともわかりました。また、さつまいもや野菜、米の生産は持ち運びが大変重く、高齢化の進む農家にとっては、軽量のごまは取り扱いがしやすい点も評価されました。国内自給率も低い国産ごまの需要が今後高いことも見込み、平成19年、有志が10人ほど集まってごまを作る団体「霧島会」と立ち上げ、毎年ごま作りをしながら生産者を増やすべく呼びかけをしていきました。平均年齢は約70歳。三股町内だけでなく隣の都城市、県中央部の田野町、佐土原、国富と、会員となっている生産農家は現在44名にまで広がりました。
その中で下石さんは、ごま生産とあわせて、会員の生産した宮崎県産のごまを原料に加工品などを作る事業所も経営しています。商工会勤務で新規立ち上げや補助金申請を専門としていた本人、保育園で調理の仕事をしていた妻、食品メーカーに勤務し食品の表示方法などにも詳しい長男3人での家族経営を柱に、煎餅やお茶など新たに開発した商品は地元の人に加工をしてもらうなど事業者の収益にも貢献しています。
商品のひとつ、黒ごまのペーストは3時間以上かけてじっくりと練り上げたもの。試食させて頂くと、コクのある風味と豊かな香りと味が口の中に広がりました。地元の方々が手作業・無農薬で作っている安心感からか、一口頂くごとにその美味しさとあいまって、朗らかな気分にさせてくれる味わいでした。


「やれるだろうという自信はありましたね。」と語る下石さん。全国にあるごまの加工メーカーでは取り扱っているごまのほとんどが外国産。地元の国産のごまだけを取り扱っている加工施設は全国的にも数が少なく、確実に差別化ができるとの予測でした。その予測どおり、国内の高級デパートのカタログ販売では表紙を飾り、年ごとに商品の販売価格を引き上げられているほどの好調ぶりで、すべて手作業での生産では原材料のごまが足りないのが悩みというほど。
「農家の方々が頑張って作って下さっているごまを私に託していただく。私はその責任があります」と表情を引き締める下石さん。「地域に根ざし地域と共に」を経営理念に置き、また生産農家の団体、霧島会では「宮崎県を日本一のごまの産地に」という目標を掲げ、安心・安全で美味しいごま作りの生産の輪は着実に広がっています。