人を驚かせる野菜たちー梶並達明

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梶並 達明(かじなみ たつあき)

1957年岡山県生まれ。1995年小林市にIターンして就農。妻和枝さんの両親と4人で農業を営む。いろいろな西洋野菜を栽培しており、イタリアンやフレンチ、ドイツ料理や中華料理などのシェフも顧客に多い。

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食べられるお店
Cucina mamma del pesce(小林市)、saboribar(小林市)、極楽温泉(高原町)、一心鮨光洋(宮崎市)、AREA(宮崎市)、ラディッシュ(宮崎市)、シュタットマインツ(福岡県)、他県内外多数。
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人を驚かせる野菜たちー梶並達明
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自分でお客さんを連れてくる野菜たち

標高1344メートル、夷守岳(ひなもりだけ)が間近に見える梶並さんの直売所。「こんにちは〜!」野菜を洗う和枝さんの後ろ姿に呼びかけます。和枝さんの横に停まる軽トラックの荷台は、カラフルな野菜でいっぱい。黄色や黒のニンジン、ピンクや緑の大根、紫の白菜など初めて見る野菜が荷台を彩ります。
「今日は発送が20件よ」。入り続ける野菜セットの注文に、野菜を洗う手が休まることはありません。一箇所に3〜5箱送ることもあります。

注文に応じて野菜を収穫しては、一つ一つ手洗いし、段ボールいっぱいに野菜を詰め込みお客さんの元へ送り出します。
野菜の行き先は東京や名古屋、福岡のレストランが多く、大半が「梶並さんに内容はお任せ」です。生駒高原農園には、ウェブサイトや営業担当はいません。料理人から料理人へ口コミで評判が伝わり、お客さんはここ数年で急増中。「野菜が自分で営業しています、野菜が自分でお客さんを集めてきます」と破顔一笑。

わざわざ野菜をここまで買いにくる理由

2015年春、梶並さん一家が小林市に引っ越してきて丸20年が経ちました。梶並さんは岡山県出身。高校卒業まで地元で過ごした後、大阪に出て大手パンメーカーに19年勤務。そこで同僚だった和枝さんと出会い、二人の子どもも生まれました。
「200人の前で話をしたこともあるなぁ」、「(子どもたちの転校先が小さい学校だったから)本当に転校してくるのかと何度も電話が来たよ」、と遠い昔のことのように振り返る梶並さん。「小林で過ごした時間が一番長くなりました」としみじみ。管理職から農業へ。この20年は、その前の19年と比べきれないほど濃い時間だったことが伝わってきます。いつもははっきりした物言いをする梶並さんが、「やっと、ここまできた」と一回だけつぶやきました。

どうして珍しい野菜を育てようと思ったんですか、と尋ねると「ここまで来てもらいたいから」。小林市内を見下ろす高台のここは開拓地で、見晴らしも良く、数キロ先には花で有名な生駒高原があります。専業農家が多い昔ながらの土地ゆえに、反発もあったと思います。
夫婦で試行錯誤を繰り返し、今では多くの顧客を獲得。梶並さんの直売所では、その野菜を求めて往復三時間かけて通うシェフも珍しくありません。取材の日も、大量の野菜を車いっぱいに積み込んでいくシェフに会いました。

人を驚かせる野菜たち

梶並さんの野菜にはサプライズがいっぱい!お客さんがその色や大きさや味にびっくりしていると、梶並さんもとっても楽しそうです。
生で食べられるジュースのような夏のトウモロコシ、ジューシーで甘い春や秋のカブ、千切りにして干すだけでグミのようで甘い冬のニンジン。器やサラダに大人気、昨年は数週間で完売した紫白菜。そんな梶並さんの野菜たちに、初めて来た人は一様に驚き、笑顔がこぼれます。
私が初めてここにきたのは3年半前の初夏ですが、あの時食べた野菜はそれまで食べたどの野菜とも違うもので、あの驚きは忘れられません。

和枝さんが即席で作って食べさせてくれた、ピンクのカリフラワーの酢漬けやリンゴウサギのようにカットして中身を食べるサラダカブ、焼き空豆、色々な種類のジャガイモのオリーブオイル焼き、どれも野菜とは思えないほど満足感たっぷりでした。
また、野菜を買いに来る人や野菜が届いた人から「これどうやって食べるの?」という質問に、見事なスピードでその食べ方を提案していく和枝さん。和枝さんはプロ顔負けの、生駒高原農園の野菜料理の達人です。育てた野菜の美味しさや食べ方を知り尽くした夫婦が、プロの料理人をはじめお客さんからの絶対的な信頼を勝ち得ている姿に、これからの農家の一つのモデルケースのように感じました。

農薬を使わないでも育つような野菜作り

梶並さんは農薬を使わない栽培にも取り組んでいます。
きっかけは、就農して数年後に梶並さんが舌ガンを患ったことでした。手術後、いつものように殺虫剤を散布すると舌に激痛が走り、危険を感じて無農薬栽培に取り組み始めました。それが約15年前のことです、当時この地域では考えられなかった選択肢に、周囲は理解を示さない中で一人研究を重ねました。何年もの間納得のいく野菜が育てられず、本当にできるのか、これでいいのか自問自答を繰り返し、試行錯誤する日々を過ごしたそうです。

そうして、5年以上かけていろいろな酵素や有機肥料を試したり、肥料設計を変えたり、土壌診断を繰り返して、ようやくこの畑に合った土作りに行き着きました。
ポイントは、植物自身の力を最大限に引き出す栽培方法でした。そうして、土作りや種をまく時期、種をまく場所も固まってきて、毎年同じように野菜が育ち始めた頃、そんな手塩にかけて育てた野菜を直接消費者に届けたい、と珍しい野菜の栽培にも挑戦するようになりました。珍しい野菜の種を見つけると買ってきては種をまくようになり、現在では年間を通して50種類以上の野菜を育てています。

旬の時期に種をまいて育てる

梶並さんに野菜の収穫を尋ねると、決まって「分かりません、野菜に聞いてください」。
早く植えて早く販売するのではなく、旬の野菜は旬の時期にしか植えないというのが、梶並さんのこだわりの一つです。また、基本的に水も散布しません。梶並さんの野菜たちは、空からの雨と朝露で育ちます。一度、宮崎の野菜ソムリエコミュニティのメンバーと一緒にオクラやトウモロコシの種まきをさせてもらったこともありますが、本当にあっさりとしたもので、芽が出なかったらまたまき直すだけだ、という話でした。

「苗半作。芽がでるまでがまず大事。野菜は自分の力で根っこを出して、葉っぱを伸ばして育たないとダメ。それができない野菜は育たない。大きくなってもおいしくない」と梶並さんが整えた土壌に、降雨や日光や風など降り注ぐ自然の恵みで育つ野菜たち。
『明日の自分に恥ずかしくない今日でありたい』。いつも梶並さんが自分に言い聞かせている言葉です。積み上げた知識や信頼を元に、梶並さんのさらなる挑戦は続きます。

  • ブログページ―おいしい野菜の見え方
  • 取材:大角恭代

    小林市在住。大学卒業後、㈱ファーストリテイリング勤務。2011年2月Uターン。野菜ソムリエ。たまたま食べた無農薬無化学肥料栽培の文旦に衝撃を受け、おいしい野菜の育ち方に興味をもつ。おいしいと思う野菜があると畑にいき、生産者と想いを語る。

    夢は『いつでもどこでもおいしい野菜が食べたい、広めたい』。

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